小泉首相よ、サプライズ作戦もいいが、そろそろ、市民生活にプラスになる政策の実現に本腰を入れたらどうか
2004年5月28日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「奥の手」は二度使ってはあまり効果がない。それでも小泉首相は訪朝した。そうせざるをえなかったのは、要は、追い込まれているからだ。
逼塞した社会では、刺激が求められる。小泉流サプライズ作戦が功を奏した理由の一つもそこにある。自民党をぶっ壊すという物言いも、ハンセン病問題の対処も、最初の訪朝も、大いに市民を驚かせ喝采を浴びた。実は、管直人氏が厚生相時代に、エイズ問題で人気を博したのも同様の構図である。
派閥の微妙なバランスのもとで、連綿として続いてきた永田町の猿芝居、へたとしか言いようのない演技者=議員。いい加減あきあきしていた観客=市民にとって、小泉首相は格好のタレントであり、そしてまた、そこに市民が魅力を感じることを、彼は知悉していたのだろう。
だが刺激は長続きしない。とともに、市民は次の、もっと激烈な刺激を要求してくる。その時政治家は、本来なら「まったりとした充実感」を提供しなくてはならない。派手さはないが、市民生活にプラスになる政策の実現だ。「これこそが私たちの仕事です」と自信をもって提示すれば、多くの市民は納得するはずである。この時点で、単なる「人気者」は、大衆の認める「実力者」になる。
ところが小泉首相は、一貫して刺激に賭けてきた。人気に陰りが出てきたのを見計らったような再訪朝もしかりである。むろん、拉致問題解決は誰もが望むことだ。しかし政治利用を良しとする者はいない。麻薬のごとき「支持率」にがんじがらめになった為政者は、それをどう考えるのか。
「奥の手」とは、もともと左手を指す。何本もあるわけではない。(北村肇)