年金改悪の一方で軍事力強化を目指すような政治家に、「愛国心」を唱える資格はない
2004年7月30日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
母方に二人の祖父がいた。
実の祖父は、身よりの居ないお年寄りが収容される老人施設で、息を引き取った。義理の祖父は長期入院の末、決して設備がいいとはいえない病院のベッドで亡くなった。
資産もなく借金もなく、国に特別面倒をみてもらうことも、社会に迷惑をかけることもなく、逝った。
数年前、スウェーデンの老人ホームを訪れた際、ふと祖父のことを思いだした。九○歳代の女性が、きれいに着飾りお化粧をし、買い物用のワゴンを杖代わりに街に出ていく。屈託のない笑顔でそれを送り出す職員。こんな世界のあることを、二人は知る由もなかったろう。
会う人が口々に、「税金は高い。でも教育も老後も、みんな面倒みてくれるのだから」と語る国。それはおとぎ話でも夢物語でもない。
「愛国心」をひたすらに叫び続ける日本の与党議員は、「黙っていても愛したくなるような国をいかにつくるのか」ということに腐心しているとは思えない。実は簡単なこと。困ったときに面倒をみてくれればいいのである。老後や失業や、大病したときの不安が軽減されるだけで、人はこころ豊かになるものだ。
逆に、不安感にかられたとき、人はときとして自暴自棄になり、社会秩序を乱すこともある。スウェーデンでは深夜も明け方も、女性が一人で街を歩いていた。路上にはたばこの吸い殻もなかった。
「北欧にだって問題がある」としたり顔で話す人がいる。そんなことは当たり前だ。完璧な国家などありようがない。でも少なくとも、年金改悪の一方で軍事力強化を目指すような国よりはいい。「介護は家族の責任だ」と、単細胞的に言い放つ国会議員がいないだけでもいい。(北村肇)