毎日、身の回りの二人に、「当選させたくない候補者」について話をしてみよう
2004年7月2日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
幸せになる最も有効な方法を、あるとき思いついた。とことん不幸になることだ。耐えられないくらいのどが渇けば、どんなに塩素くさい都会の水道水でも、きっとおいしいだろう。
小学生のころ、病いで長期に学校を休んだ。毎日、通院しては注射を打ち、あとは家で寝ているだけ。まだテレビもない時代だ。ようやく床から離れたとき、あれほど嫌だった勉強が、ちっとも苦にならなかった。
いま病床にいるわけではない。が、病んだ社会に住んでいるという感覚は拭えない。ふと、この際、日本も行くところまで行ってしまったらどうか、と思ったりする。参議院選挙では自民党が大勝。憲法は改悪され、自衛隊は名実ともに日本軍となる。徴兵制とともに、治安維持法も成立。政府批判をすれば即逮捕ーー。
ここまでくれば、平和憲法のありがたみは身にしみてわかるのではないか。だが、これは冒頭のたとえには重ならない。まずい水でもおいしく感じるのは、管理国家の中で、少しばかりの自由をありがたく思ってしまうことにつながるからだ。一度失った「平和と自由」は、そう簡単には取り戻せない。
結局、自暴自棄からは何も生まれないのだ。では、どうしたらいいものか。
この際、一日二人に、「当選させたくない候補者や、議席を増やしてほしくない政党」について話してみるというのはどうだろう。理解してもらえたら、その人にはまた、知人などに伝えてもらう。
やはり、幸せは小さな努力の積み重ねがもたらすものだ。(北村肇)