有事法制の指定公共機関に入ったテレビ局。いつから権力の広報機関になりさがったのか、ジャーナリズムの矜持は失ったのか。
2004年9月17日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
本末転倒なことが当たり前になるという、それこそ本末転倒な事態がときに生じる。 たとえば、憲法は、国家権力が市民の権利を侵害することのないよう、公務員らに縛りをかけたものだ。それがいつの間にか、市民が守るべき法であるかのようにすりかえられている。だから平気で政府は憲法を踏みにじる。
有事法制の一環として、指定公共機関が決められた。ここでも本末転倒なことが起きている。権力の監視・批判を役割とするマスコミが、権力の広報機関になりさがり、しかも大して問題にもならなかったのだ。
指定公共機関には、NHKを始め民放各社が含まれている。特に拒否する社もなかったと聞き、呆然とする。いつからジャーナリズムの矜持、というより当然の責務を見失ったのか。
「有事」の際、国家が間違った判断をしても、ただただその指示に従って「報道」するのか。一切の批判はしないつもりなのか。台風や地震とは違うのだ。国の出す情報をそのまま流してこと足りるなら、国が放送局をつくればすむことだ。
NHKは「有事に際しても、自らの編集判断で、迅速・的確な報道を行なう基本方針になんら変わりがない」とのコメントを出した。こんな戯言をだれがまともに受け止めるものか。そもそも「自らの編集判断」があれば、指定公共機関になる必要がない。国の指示などなくても、きちんとした報道ができるはずだ。
もっとも、国に従ったのは「企業」であり個々の記者ではない。ならば、記者は自社を追及すべきだ。組合も立ち上がるべきだ。権力にすり寄った経営者を追放すべきだ。そういう思いすら持たない記者は別の職業につくべきだ。表現が苛烈すぎるかもしれない。だが、いまこそメディアにとっての「有事」なのだ。(北村肇)