編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

マスコミ最大のタブー、「電通」の正体を暴く

 ほとんど日本語を使わない言葉がある。「タブー」もその一つだ。なぜ「禁忌」は死語化したのか。私見だが、字面があまりにもおどろおどろしいからではないか。もともと、避けるべきでないのに避けるのが「禁忌」だから、この言葉には後ろめたさがつきまとう。それが「タブー」となると、どことなく他人事のような趣きがある。深刻味が薄れるのだ。
 
 今週号からスタートした連載「電通の正体」には、「マスコミ最大のタブー」とつけた。メディアにとってのタブーはいろいろある。だれでも知っているのが「皇室」。批判記事を書けないどころか、朝日新聞や毎日新聞をのぞけば、いまだに敬語を使っている。昭和天皇が亡くなったときは、「崩御」などという前時代的な見出しを踊らせた新聞がほとんどだった。

 それでもなお「最大のタブー」が「電通」である、という実態は、あまり世間に知られていない。だからなおさら、質が悪いのである。

 新聞もテレビも雑誌も、広告集稿は広告代理店に頼る部分が多い。テレビや雑誌はもちろん、購読料の値上げができない新聞業界も、いまや広告収入がなければ経営が立ちいかない。となれば、広告業界最大手の「電通」が存在感を増すのは当然だ。

 皇室批判で新聞社がつぶれることはない。だが、「電通」の虎の尾を踏んだら、どうなるかわからない、というのが現実である。

 もちろん、マスコミに働く者の多くは、「電通」批判が「禁忌」であることを苦々しく思っている。だが、広告収入がなければ企業として存在しえない。そこで、報道では一定の配慮をしつつ、自らも「タブー」などと自嘲気味に語ってみせる。この企画では、「電通の正体」とともに、そんなマスコミの実態も描いていく。
 
 幸い、広告収入に頼らない本誌は広告代理店とは何のしがらみもない。いくらでも痛いところを衝ける。ほとんど報道されてこなかった知られざる巨大企業に、可能な限り迫りたい。ジャーナリズムの一つの使命は、「禁忌」に斬り込むこと。これぞ醍醐味だ。(北村肇)