コクド前会長・堤義明氏の凋落に「不変」を求め続けたあわれな権力者の姿を見る。だが、その取り巻きもまた同罪である。
2004年10月29日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
地球上に在るものはすべて寿命をもつ。だが、「終末」を恐れ苦悶するのは人間だけかもしれない。その恐怖から逃れる術はさまざまにある。不変なものがあると思い込み続けるのも一つ。とりわけ、この世で栄耀栄華を極めた権力者は、むりやり「今」にしがみつく。当然、末路は惨めにしてあわれだ。
コクド会長だった堤義明氏は、西武王国の唯一絶対の権力者として永らく君臨していた。
横暴ぶりはつとに有名だった。かつて西武ライオンズの森祇晶監督に、「もう一年やりたいならどうぞ」という趣旨の発言をしたエピソードは象徴的だろう。あまりの傲慢さに、さすがのライオンズファンも、愕然としたものだ。
西武系企業の社員から、こんなことを聞かされたことがある。「会長は自家用機で全国の関連会社をまわります。時には、講堂などで社員総出でお出迎えする。ある日、頭の下げ方が悪い社員がいた。会長は突然、履いていたスリッパでその社員の頭をたたいたのです。びっくりしました」。これが事実なら、堤氏の器の小ささに驚く。
といって、単純に、堤氏の凋落を自業自得と冷笑する気にはならない。トップの愚かさを知りつつ忠告することのなかった無能な部下。そんな連中に囲まれた帝王のあわれさに、同情心すら沸いてくるからだ。
「力」を持てば、多少の「不正」は隠蔽できるかもしれない。しかし、それは永遠に続くわけではない。悪事は必ず露呈する。だが、こんな単純なことも、権力の椅子に座り続けると見えなくなる。だから相談者や知恵袋が必要なのに、「不変」を求める権力亡者は、自らの地位を脅かしそうな人々を次々と切り捨てていく。かくして、お追従だけが取り柄の幹部ばかりが残っていく。
後継者をつくらない驕った権力者は自滅するばかりか、企業をも危うくする。それを指弾せずに生き残ってきた取り巻きもまた、同罪なのである。(北村肇)