皮膚感覚が、「国家を守るため、反体制派を弾圧する治安国家」に反応する。私は、だれにも支配されたくない。
2004年12月10日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
皮膚感覚は大切だ。
たとえば、なんとなく最近、「お巡りさん」が「警官」になった気がする。顔付き、言葉付きがいやに剣呑としてきた。
たとえば、自衛隊員に「軍人」の雰囲気が出てきた。災害救助で汗を流す、さわやかな青年といったイメージはかけらもない。
自分が直接かかわった具体的な事例はない。だが、うっとおしい空気がたびたび、皮膚を刺激する。虫の知らせのような、ぞくっとする感覚に振り返ると、「警官」が自転車に乗った若者を職務質問している。いかにも居丈高な背中がおぞましい。
新防衛大綱について語る自衛隊幹部。違憲状態に置かれている後ろめたさは微塵も感じられない。国防軍としての自負に、薄ら寒さを感じる。本誌で紹介した、矢臼別演習場に反対し続けている川瀬氾二さんは、「自衛隊は、前はもっと大らかだった」という表現で自衛隊の変質を語る。
今年の隠れた流行語大賞は、「治安」ではないか。「犯罪から市民を守る」「テロから国民を守る」を大義名分にしながら、「国家を守るため、反体制派を弾圧する治安国家」へと突き進む。
自衛隊派兵反対のチラシを配っただけで逮捕される、憲法改悪がタイムスケジュールにのる、武器輸出がなし崩しになされていく、日の丸・君が代が強制されるーー。
おお嫌だ。戦後、曲がりなりにも、在日外国人も含めた市民・国民が国をつくってきたはずなのに、いまや国が国民をつくろうとしている。しかも米国の属国として。このままでは「自由」が、「人権」が抑圧されると、皮膚感覚が騒ぐ。私は、だれにも支配されたくないのだ。(北村肇)