本誌は改めて宣言する。「憲法、教育基本法改悪は許さない」。
2005年4月8日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
憲法関連の執筆を頼んでいるライターから、こんなメールが届いた。「何度、取材相手から『拳法ですか?』と聞かれたことか」。空気のような存在といわれる憲法。実際、日常、意識している人は、そうはいないだろう。意識しなくても、最低限の「人権」や「自由」は、なんとか守られてきたのも事実だ。
だが、ここにきて、異様な事態が生まれつつある。ビラを配っただけで逮捕されたり、「君が代」を歌わなかっただけで教壇を追われたり。基本的人権や良心の自由が、あからさまに蹂躙されている。特高警察は、歴史上たまたま現れた異物ではなく、いつでも蘇るのだという恐怖感に襲われる。
個人情報保護法や人権擁護法など、報道規制の法も施行され、あるいは準備されている。しかも、メディアの危機感は薄い。報道が権力に取り込まれたらどうなるのか。ほんの60年前の教訓はどこにいったのだろう。
かように、憲法の”安楽死”は九条に限ったことではない。軍事力強化、愛国心教育、報道規制……。なし崩しに、しかし計画的に、日本は「いつ戦争してもおかしくない」国になっている。
さらに加速する「改悪」の動き。根底にあるのは、国家と個人の”力関係”を逆転させようという発想にほかならない。本来、個人の権利を守るための憲法を、市民・国民の義務規定にしたいというのだから、何をか言わんやだ。
市民・国民は国家の奴隷ではない。主権者である。こんな大原則が理解できない国会議員は、改憲を言う前に、まずもって、きちんと憲法を読み解いてほしい。
11年前、きな臭さに耐えられなくなった人々の手で、『週刊金曜日』は誕生した。その後、一貫して、基本的人権の擁護、平和主義、権力の監視などを編集方針に掲げてきた。本誌は、ここに改めて宣言する。「憲法、教育基本法改悪は許さない」。
向こう1年間、さまざまなキャンペーンを展開するつもりだ。憲法を守るだけでなく、憲法を安楽死から救うため、読者のみなさんとともに進んでいきたい。(北村肇)