「解散突入、永田町号崩壊」もいいかもしれない。無能な乗組員の交替ができるから
2005年8月5日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
スペースシャトルは、耐熱タイルの一部がはがれただけでも悲惨な事故につながりかねない。だがこちらは、ボロボロとはがれっぱなしの状態なのに、乗組員は知ってか知らずか修理する気配もない。軌道の定まらない「永田町号」の話。しかもこのまま大気圏に突入しかねないというのだから、とんだブラックユーモアだ。
そもそも「郵政」に国民の関心がないのは、さまざまな世論調査で明らかになっている。年金、税金など、生活に密着した問題のほうがはるかに切実だ。北朝鮮の核、イラクの治安悪化といった、避けて通れない国際問題も山積している。なのに日々、永田町の輩は「反対派は何人」「切り崩しが云々」などといった票読みにうつつを抜かす。一体、どこを見ているのか。有権者の信託を受けるとはどういうことか、考えたことがあるのか。いいかげんにしろだ。
懸案事項はそっちのけ、自分の保身だけを考えあたふたする議員の姿は見るに耐えない。郵政反対派に対し、自民党幹部は「衆議院を解散したら公認しない。公明党の支持も得られない」と脅しをかけている。あまりの手前勝手、低次元の対応に、あほくさくて論評する気にもならない。その脅迫に屈して、賛成に回る議員もいるという。こちらはこちらで情けないの一言だ。
これは与党に限らない。民主党も同じことだ。野党なら野党らしく、「郵政にばかりかまっている暇があるのか。国会は自民党内の勢力争いをする場ではない」と、どんどん攻め入ったらどうなのか。審議拒否は国民の支持が得られない、とすぐに腰を引くが、それは違う。「支持が得られない」のは、どっちつかずの愚図愚図した態度だからだ。毅然としていないからだ。
すべての国会議員に「改めて憲法前文を読め」と言いたい。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。永田町内で無意味なゲームにいそしむ権利は、あなたたちにはないのだ。
今週号の「鈴木宗男・佐高信対談」で鈴木氏は、次回の衆議院選挙で「北海道新党」を立ち上げると宣言した。現職議員がこんなていたらくでは、鈴木宗男新党に、予想外の票が流れる可能性もある。もっとも「解散突入、永田町号崩壊」は悪くない選択かもしれない。乗組員総替えの機会が生まれるのだから。(北村肇)