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与党にも反乱軍にも最大野党にも、一票を投ずる気になれない理由

 誰とは言わないが、やけに色白に写った選挙用ポスターがある。目をこらして見ると、シワもしみも一つとしてない。そこに婉然とした笑み。正直いって、おぞましく胸くそ悪い。この平板とした写真から、そこはかとなく浮かび上がってくるのは、しみだらけの心根だ。国のことも市民のことも、実は頭の中に露ほどもないのに、自らの地位の確保に恋々とするいやらしさ。

 さて別の候補者は、と目を移したところで、心を惹かれるポスターがそうあるわけではない。非情な首相に反旗を翻し、「革命軍」よろしく勇ましげに構えたところで、所詮は軍事力強化を目指す憲法改悪論者というのでは、しゃれにもならない。こうした候補者は、小泉首相が退陣さえすれば、何事もなかったのかのように自民党に復党し、旧態然たる利権政治を復活させるのだろう。

 といって、最大野党の候補者が輝いているかといえば、さにあらず。なにかしらくすんだ印象しかない。「小泉劇場に惑わされるメディアの責任」といった声も出ているが、何を甘えているのか。問題は、有権者の耳目を集める魅力ある政策のないことだ。

 そもそも、一時は小泉首相との共闘論が永田町で囁かれたほど、両者に大きな違いはなかった。郵政民営化しかり。であるなら、どこがどう異なるのかを明確にしたうえで、もっと独自の政策を大胆に具体的に提示しなければ、支持を集められるはずもない。「マニフェスト」「命がけで」という言葉ばかりが耳に残っているのは私だけだろうか。

 ここはひとつ、少数政党に期待するしかないのかもしれない。一時、「何でも反対」と野党は揶揄されたが、政権に遠いからこそ「言いたいことが言える」という面もある。権力を持ったり権力に近づくと保守化するのは世の常だ。それをチェックする政党があってはじめて、政権党も襟を正さざるを得なくなる。二大政党が同じような政策を掲げている現状では、なおさら「何でも反対」が意味をもってくる。

 企業と同じだ。監視機能を持つ労働組合が力を失えば、会社は堕落する。健全野党がなければ、国は滅ぶ。

 それにしても、なぜ「落としたい候補者を選ぶ」選挙が実現しないのか。輝きのある候補者が少なければ、だめな連中を国会に送らないようにするしかない。結果として、定数削減にもつながるだろう。(北村肇)