「小泉圧勝」にビビることなく、あきらめず、沈黙せず、したたかに
2005年9月16日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
総選挙の結果をみて、もっとワイドショーを見なくてはと思った。あまりの低俗さとばかばかしさに、ほとんどチャンネルを合わせたことがなかったが、今回は解散後、何度か見た。異常な「小泉人気」の原因を知りたかったからだ。案の定、そこに謎解きの一つのカギがあった。
ニュースキャスターやら評論家やらが、いかにも重要なニュースという装いをこらしつつ、「小泉」対「反小泉」のケンカを面白おかしく論評する。「刺客」も「反乱軍」も扱いはタレントと同じ。政策はそっちのけ、「誰それに握手を拒否されたが、これがプラスになるか、マイナスになるか」といったことを、まじめな顔で議論している。
中には、スタジオに共産党や社民党の議員を呼びながら、あからさまに無視する司会者もいた。民主党ですら刺身のつま。総選挙の焦点は「小泉」か「反小泉」しかないと、視聴者には刷り込まれたことだろう。となれば、ケンカを仕掛けた側の小泉氏が有利に決まっている。孤軍奮闘、古びた因習に囚われる老政治家を蹴散らし、しゃにむに改革に突っ走る一匹狼の首相。ぼうっと見ていると、不思議に「小泉流」が潔く、かっこよく思えてくる瞬間があるから怖い。
これに対し、民主党の岡田代表は戦略を間違えた。政策論争を挑むのは正しいし、当然のことだ。しかし、相手が差しでケンカを挑んできたときに、しかめっ面で「マニフェスト」と繰り返したのでは勝ち目がない。しかも自民党との明確な対立軸もなかった。ここは一発、殴り返したうえで、改めて自分の土俵に引っ張り込むくらいのしたたかさがなければ、政権奪取は無理だ。有権者は無意識に、そのことを感じ取ったのではないか。
結果は、自民党の圧勝。だが、戦いは終わったわけではない。ここまで政治は見せ物に成り下がったのかと慨嘆しながら、気を取り直してもいる。理由の一つは「テレビが生んだ人気者はテレビが葬る」という歴史だ。この世界では、上り詰めた者が生き残るには悪役か三枚目になるしかない。視聴者の嗜好性とはそんなもの。であるなら、小泉氏のテレビ的な賞味期限は「圧勝」で終わっていいはずだ。
テレビに期待するのが矛盾なのはわかっている。見通しが甘すぎるという批判もあるだろう。だが、格好つけている暇はなく、利用できるものは何でも利用し、やれることは何でもやるしかない。自民党はともかく、日本をぶっ壊されたのではたまらないから、あきらめず、沈黙せず、したたかに。(北村肇)