編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

中学生になった『週刊金曜日』。「真のジャーナリズム」めざし、気を奮い立たせる

 手前味噌で恐縮だが、「『週刊金曜日』くらいしかない」と言われることが多くなった。その前段につくのは「憲法擁護を全面に掲げているメディアは」「クライアントタブーがないのは」「マスコミの堕落ぶりを徹底的に追及しているのは」などなど。ありがたいことだ。だが、複雑な気分でもある。

 なぜなら、編集方針としては当たり前のことだからだ。それが「極めて少数派」になってしまう。この社会のほうが、どこかおかしい。

 本誌は12年前、「真のジャーナリズム」を掲げて生まれた。権力に対する批判力が落ちた大手メディア。社内遊泳術にばかり長けた新聞記者。それらに不満をもつ多くのジャーナリストや市民が結集した。

 ただ一方では、マスコミに再生を呼びかける、熱い叱咤激励の意味合いもあった。毎日新聞の記者だった私は、少なくとも、そう受け止めた。「自分たちさえやるべきことをやれば、『週刊金曜日』は消滅する」。周辺の仲間ともそんな話しをした。

 その後、大手新聞は「ウォッチドッグ」という報道の原点を見失い、再生どころか堕落の一途となった。市民は静かにしかし確実に新聞を見放しつつある。活字離れはインターネットの発展だけがもたらしたものではない。信頼感喪失が最大の原因なのだ。

 先日、ある大学の講座で「新聞を読んでいる人」に挙手を求めたらゼロだった。別の大学でも同じ質問をしたらやはりゼロだった。いずれも50人ほどの学生には新聞社志望の人も多い。それでも、個別に聞いてみると「読む価値がない」という答えが戻ってきた。

 東京都内で新聞を定期購読していない世帯は、おそらく3割から4割に達しているだろう。区によってはすでに5割を超えたといわれる。しかし全国紙各社に「崩壊」への危機感があるとは思えない。でなければ、日々、ぬるま湯のような紙面をつくり続けるはずはないからだ。

 本誌は年に何回か、読者アンケートを実施している。寄せられた回答にも、全国紙への絶望と『金曜日』への期待をずしんと感じる。一通ずつ読みながら、高揚感とともに、気が重くなっていくのも偽らざるところだ。どこまでできるのか――。気を奮い立たせ、本誌も中学生。(北村肇)