「幸せ」を買うには技術がいる。マネーゲームの勝者に、このことが理解できるか。
2006年2月3日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「カネでは買えないものがある」という。では「カネで買えるもの」とはなんだろう。コメ、豚肉、下着、靴。それから億ション、自家用飛行機、高級ワイン。確かにカネさえあれば、こうした商品は何でも購入できる。次の問い。「何のために」買うのか。命の維持。これはわかる。でも高級ワインや億ションは違う。なくたって生きていける。
嗜好や趣味の世界で、きままにカネを使えるぜいたく。一見、うらやましい。だが突き詰めれば、「買う」のは結局、「幸せ」だろう。であれば、高級ワインを嗜む「幸せ」と、発泡酒や焼酎を飲む「幸せ」が等価なら、わたしはお金持ちに嫉妬しない。むしろ発泡酒で「幸せ」になれる自分に納得する。
「幸せ」を手に入れるには技術がいる。たとえば「今日は昨日よりつまらなかった」と嘆くより、「今日は一昨日より楽しかった」と思うほうが「幸せ」だ。まずいラーメン屋で一緒に食べても、「こんな店に入らなければ良かった」といつまでも愚図愚図言う人間と、「おいしくはなかったけど、安かったから満足」と微笑む人間もいる。後者の人は、「幸せ」を感じとる術に長けているのだ。
ライブドアの堀江貴文社長は、昨年の総選挙で民主党に立候補を勧められた際、「『国民はバカだから』と五回繰り返した」と報道されている。「だから関係を絶った」かのような民主党の態度には鼻白むが、堀江社長の一断面をよく表しているエピソードだ。
マネーゲームの世界では、「頭のいい人間」が勝ち組になる。法の抜け道だろうがなんだろうが、利用できるものはすべて利用する知恵があってこそ、常勝の道を歩める。そう考えているIT長者からすれば、自分たちのようになれない連中は「バカ」なのだろう。
時代を先取りし、旧弊を打ち破り、自らのスタイルで企業経営に邁進する。そんな若者が批判されるいわれはない。地位を脅かされ、価値観を危うくされた年寄りの陰謀だ――。身の回りでも、怒りに燃えた声を聞く。そのような面のあることは否定しない。だが「ホリエモンを目指す」ことには賛同しかねる。人をバカ呼ばわりしていては、「幸せ」をたぐり寄せることができないからだ。ヒルズに住まなくても幸せでいられる「バカ」の存在を知らずに、人の上に立つべきではないからだ。
先述した技術はどこにも売っていない。つまるところ、心豊かでなければ「幸せ」は買えないのだ。マネーゲームで得られるのはほとんど「幻想」でしかない。 (北村肇)