編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

東京地裁のトンデモ判断は、自ら牙を抜いたマスコミの自業自得でもある。

 あたかも詰め将棋のように一手一手、市民・国民から反論の自由、言論の自由を奪っていく。盗聴法、個人情報保護法、共謀罪――。立法府だけではない、司法権力もまた手を染めているようだ。東京地裁は13日、「取材源が公務員で守秘義務に違反するような場合は、記者に証言拒絶権はない」との判断を下した。悪夢としかいいようがない。

 このようなことがまかりとおったら、「正義」に基づき内部告発する公務員が減り、結果として国民の知る権利が損なわれるのは自明の利だ。ところが地裁は、かりに情報源の開示によって公務員の協力が得にくくなっても、「法秩序の観点からはむしろ歓迎すべき事柄だ」とした。ここまでくると、怒りよりあきれが先に立つ。

 さらには、報道の自由を縛るだけではなく、国民の知る権利を直接、侵害する判断も下している。「刑事法令で開示が禁止された情報について、公衆は自由な流通に対する適法な権利を有していない」。かみ砕いていえば、国が「都合が悪い」と考えた情報は一切、市民・国民に知らせる必要がないとうことである。もはや「憲法違反」と断じてもいいほどだ。 

 マスコミは一斉に批判的な報道をした。当然である。ジャーナリストの責務は権力の監視・批判であり、そのためには権力の内部情報入手が欠かせない。といっても、捜査権限があるわけではないから、強引に出させることはできない。だから調査報道の多くは、地道な取材のうえで、公務員に事実を突きつけ、証言を得るという手法をとる。

 当該の公務員が「この事実を隠蔽するのは正義に反する」と“改心”し、積極的に取材に応じてくれることもたびたびある。その際、ジャーナリストが告発者を守れなかったら、どうなるのか。かえすがえすも許し難い判断だ。ただ、新潟地裁は同様の問題でまったく逆の判断を示し、東京高裁も17日、それを支持した。

 いずれにしても、東京地裁に理不尽な判断を出させてしまった責任は、全国紙やテレビのキー局にあるのではないのか。本来の責務である「権力批判」をおろそかにしていたツケが回ってきた。牙を自分たちで抜いてしまったがために、なめられたのである。

 今週号で特集したイラク問題は、弱腰メディアの典型だ。「大量破壊兵器はある」と断言した小泉首相をなぜ徹底的にたたかない、現地の自衛隊が人道支援などできていない事実を、なぜ報じない。政治家や防衛庁の顔色をうかがうばかりのメディアは、権力にとって怖くも何ともない。そこにこそ、最大の危機があるのだ。(北村肇)