編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

東京五輪の夢よ、もう一度ですか。足下を見つめるほうが先でしょう、石原知事

 文字通り、手に汗を握った。1964年の東京五輪、女子バレーの日本対ソ連。最後はソ連選手のネットタッチだった。金メダル獲得。感動より、「よかった」とほっとしたのを覚えている。

 当時の騒ぎは、サッカーワールドカップの比ではない。日本中が「東洋の魔女」に熱狂した。むろん、柔道も、男子体操も、日本選手の活躍ぶりは連日、大きく報道され、巷の話題を独占した。

 だが、市川昆監督が撮った東京五輪のドキュメント映画は、確か、競技に関係ない建築工事の現場から始まった。

 小学生にも、そのシーンは強烈な印象を与えた。一言で言えば、それは「破壊」だった。新幹線が誕生し、首都高速が走る。日本はようやく戦後の混乱期を脱し、高度成長の波に乗り始めていた。東京五輪はまさに象徴だった。しかし、巨大な鉄の球が古い建物を壊す様は、「建設」ではなく「破壊」に思えた。
 
 アベベが優勝したマラソンでは、破れた選手が靴を脱ぎ、豆だらけの足をさらし寝ころぶ場面が延々と続いた。勝者の晴れやかさは微塵もない、スポーツのもつ残酷さが画面から突き刺さってきた。

 市川監督の作品は五輪賛歌ではなかった。華やかな舞台の背景にある、暗くおぞましい面に光を当てていたのだ。思えば、ドキュメンタリー映画のもつ「力」を何となく認識した最初の体験でもあった。

 東京都が福岡市とともに五輪誘致に手を挙げた。「あの夢をもう一度」とは、なんと時代錯誤なことだろう。60年代だから市民は熱狂したのだ。しかも、「アスリートの熱い戦い」の裏で、大規模な都市開発が進み、多くのものが失われた“負”の面のあることは、その後、冷静さを取り戻した多くの市民が気づいた。

 石原慎太郎知事、五輪誘致を叫ぶ前に、自らが「破壊」したものに目をこらしてはどうか。誘致に反対の都職員が、それを声にすることができないほど進んだ恐怖政治。「日の丸・君が代」の押しつけにより、根底から揺らいでいる教育現場の人権と自由――。「勝者のおごり」をまとったリーダーは、聞く耳を持たないだろうが。(北村肇)