「人間」も外交も、複雑であり、単純でもある
2006年10月27日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「人間」は単純だ。一人の例外なく、生まれて死ぬ。遺伝子に左右されることも、食べて、栄養を吸収し、不要物を排泄することも、万人に変わりがない。
だが一方で、「人間」は複雑だ。何しろ、地球上に「同一人物」は存在しない。無限の「異なったもの」、それが「人間」でもある。一筋縄ではいかない。
このことに気づいたとき、社会事象のとらえ方も変化した。ほぼ例外なく、ものごとは単純であり複雑だ。両面から見ないと、深層に近づくことはできない。
北朝鮮問題は極めて複雑だ。6カ国協議に参加する各国の思惑は、幾重にもからみあい排斥し合い、しかも日々、変化している。実態を知ることは容易ではない。少ない情報をもとに、いくつもの関数を用いて分析するのは至難の業だ。
しかも、情報そのものにバイアスがかかっている可能性もある。実際に核実験は行なわれたのか、成功したのか、失敗したのか。それらの根本的なことに関しても、北朝鮮の発表はもちろん、米国やロシアの公式見解も鵜呑みにはできない。
北朝鮮の核実験声明に対し、中ロはすかさず不快感を表明した。だが「出来レース」との見方がないわけではない。米国と北朝鮮との関係でも、実は水面下では早期決着のレールが引かれているという説すら流れている。
しかし、視点によっては単純でもある。
「何があっても戦争は避ける」
「そのためには対話が不可欠」
「日本市民、北朝鮮市民のくらしを守る」
「在日外国人を差別しない」――。
難しく考える必要はない。重要なのは、国家を超える、市民の生命と人権だ。このことがすべてに優先するのである。
外交交渉が複雑なのはわかる。まして相手は「将軍様を戴く独裁国家」。相当の努力が必要になる。それでも、根底にある単純な真実を忘れては意味がない。(北村肇)