編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

浅沼稲次郎さんの遺志が伝わった――明るい怒りに包まれた市民集会

この場で浅沼稲次郎さんが刺殺されたのだと、日比谷公会堂には何度も足を運びながら、これまで実感したことがなかった。本誌主催の市民集会「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪」(19日)の開演前、ステージに一人で立つと、まだ誰もいない客席がざわめいている気に襲われた。確かあの日も、両親や祖父母と一緒にテレビを見ていた。
 
 いや、それは記憶のつくり変えかもしれない。ただ、周囲の大人たちが、一様に哀しみ、絶望し、怒りに打ち震えた様子だけは、初めて身体にメスを入れたときの恐怖に似て、しっかりと、私という存在が覚えている。その公会堂に、折から降り始めた、冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。

 コートを着ても底冷えがした。「関東地方は久しぶりの雨、午後には風も強まる。12月初めの気温……」。前の晩に聞いた天気予報が当たった。普段ははずれるのにと、うらめしく思いつつ空をながめたが、続々とつめかける聴衆に不安は吹き飛んだ。

 出演者は石倉直樹、内橋克人、永六輔、小室等、城山三郎、田中優子、中山千夏、矢崎泰久の各氏に、『週刊金曜日』編集委員の佐高信、本多勝一。予定されていた姜尚中、岸恵子、梁石日の各氏は都合により参加できなかったが、会場から雨宮処凛、上原公子、俵義文氏にも飛び入りで加わってもらい、バラエティに富む集会となった。

 教育基本法が衆議院で強行採決され、国民投票法案は審議が加速、共謀罪も与党の「寝たふり作戦」が考えられる――事態は極めて深刻で、居ても立ってもいられない。そんな思いは出演者にも聴衆にも共通していた。

 だが、会場には、不思議なほどに穏やかな空気が流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった。ふくよかな人柄で庶民を包み込んだ浅沼さんの遺志が、私たちに伝わったのか。
 
 受付を手伝ってくれた学生の言葉が印象的だった。「入ってくる人がみんなものすごい期待を持っているのがわかった。集会が終わり、帰って行く人の顔はキラキラしていた」。
 
 これからも、笑いながら、歌いながら、自分を信じ、寒風に背を向けることなく歩いていきたい。(北村肇)

久しぶりに訪日した韓国の友人が嘆く。「日本人は暗くなった」

掌にのる観葉植物をパソコンの脇に置いた。子どものころ食べたヨーグルトの瓶に似た器に、菖蒲を細くしたような葉が20枚ほど、すくっと立っている。名前は、書いてあったラベルを捨ててしまったのでわからない。ささやかな緑。それでも心和む。ただ、連休明けなどは元気がない。水をやれないからだろう。

 過日、10年ぶりに訪日した韓国の知人が「日本は変わった」と嘆いていた。変わったのは「人間」だという。留学生時代は、こんなに親切でやさしい人々もいるのだと感動した。ところが今回は、街を歩いている人がみんな「暗い!」。その落差に驚いたというのだ。「水分」が足りないのか。日本人から、うるおいが消え去ってしまった。

 繁華街を歩いていると、警察官の職務質問がやたらに目立つようになった。自転車の若者を呼び止め、二人で取り囲むようにしている姿は、いかにもギスギスとした雰囲気を漂わせる。もはや、「親切なお巡りさん」ではない。

 本誌は一貫して「警察の闇」を特集してきた。今週号の第6弾では、労働組合、大学、市民グループなどへの「弾圧」を取り上げた。市民警察がここまでやるのかと、驚くことばかりである。

 戦前・戦中の思想弾圧を反省して、だれにでも親切でやさしい「交番のお巡りさん」が生まれたのではなかったか。市民が安心して交番に駆け込めるような国は、実は、そうたくさんあるわけではない。海外に行ったとき、日本人の多くが実感するはずだ。

「美しい国」とは、やさしさが空気の中に微妙に溶け込んでいるような国を指すのだろう。だが、この国では、疑心暗鬼をあおり、市民に「敵」と「恐怖」を与えることで統治しようという、前時代的な政治権力が「美しい国」を標榜している。

 戦前の「治安維持法」が示した如く、「治安を乱す」者は、「国の政策に従わない」者と同義になりかねない。2006年の日本はどうか。メーデー参加者が言いがかり的な容疑で逮捕されたり、チラシを配っただけで長期拘留されるような国は、外から見たら「警察国家」以外の何物でもない。

 かつての韓国のように、いまの日本は“恐怖の雲”に覆われている。陽光を遮り、温かみを失わせるこの雲は、しだいに、しだいに厚くなっていく。(北村肇)

自称「愛国者」の勇ましい人たちは、弱者に強く強者に弱い

三島由紀夫は「愛国心」という言葉が嫌いだったと、「一水会」顧問、鈴木邦男さんの著作で知った。理由は、「官製でおしつけがましい」「日本を突き放して、それを愛するという姿勢が嫌い」「傲慢だ。己惚れであり、思い上がりだ」。鈴木さん自身、「どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい」と書いている。
 
 嫌いというより、私は「愛国」におぞましさを覚える。「お国のために身を捧げろ」と強制し、多くの市民の命を奪った、政治権力の道具としての「愛国」を寛恕できないのだ。このことを解決せずして、声高に「愛国」を叫ぶ議員や識者はまったく信用がおけない。

「自然や文化、伝統を大切にするのが愛国」とも言われる。だが、外から見た「国家」という面を考えなくてはならない。いかに自然が美しくても、国民性が優れていても、「侵略国家」日本に跋扈していた「愛国」を受け入れられないアジアの人々がいるのは当然である。

 安倍政権は一見、これまでの政府の歴史認識は踏襲しますとの姿勢で、静かな船出をした。だが、やはり爪を隠すことはできない。「核保有を議論すべき」「従軍慰安婦問題は歴史検証をすべき」……暴言が相次ぎ、与党幹部すら不快感を示すことが続いた。あげく、当の安倍首相が海外メディアに「九条は改正すべき」と明言。しかも、みんな、ふんぞりかえって「俺が正しい」といった態度だから唖然とする。

「核を撃ち込まれる前に、こちらも核を持たなければだめだ」――。何とも勇ましい。しかしガキ大将の域を出ない幼稚な言説だ。核兵器に限らず、軍事力強化はいたちごっこで、際限なく肥大することは歴史がいかんなく証明している。まして核の場合は、いったん゛暴発゛したら世界が破滅する。被爆国日本のとるべき道は「核廃絶を世界に訴える」ことしかない。

「それは理想的すぎる」との批判がある。しかし、先人の言うように「現実によって現実は批判できない。現実を批判するものは理想」なのだ。政治家から「理想」をとってしまったら、何が残るというのか。 

「勇ましい」は自称愛国者の共通項だ。今は死語の「男は度胸、女は愛嬌」なんて口にしそうな人々。弱い者には暴力をふるうが、強者にはひれ伏す。我先に敵前逃亡するタイプでもある。 (北村肇)

11月19日、東京・日比谷公会堂で緊急市民集会を開きます

今週号は、本誌創刊13周年記念号。それに免じて、思い切り宣伝のご容赦を。

 11月19日の日曜日、東京・日比谷公会堂で緊急市民集会を開きます。集会名はズバリ「ちょっと待った! 教育基本法 共謀罪 憲法改悪」。午前11時から4時間半、本誌発行人佐高信をメーンキャスターに、13人の論客が集結します。
 
 城山三郎さん、岸恵子さん、内橋克人さん、永六輔さんなどなど、いずれも手弁当で駆けつけてくれます。特にシナリオはありません。思い思いに「いま感じていること、怒っていること、心配していること」をぶちまけてもらいます。そして、こんな世の中をどう変えていったらいいのか、みんなで考えたいと思います。
 
 個人的には、労働組合の役員として、市民運動の一員として、相当数の集会に係わってきました。正直、疲労感だけが残ったこともあります。基地問題の市民集会を主催したら数人しか集まらず、組合役員のほうが多かったという苦い経験もあります。「集会の開催」が自己目的化したことに気づき、自己嫌悪にも陥りました。
 
 それでもやめません。「独りではない」ことを確認したいからです。道警と、裏金問題で闘い続けた道新の記者が話していました。「仲間がいれば闘える。仲間がいなければ闘えない」。臨時国会が風雲急をつげるいま、仲間が集うことが必要と考えています。

 中曽根元首相は「憲法を変えることで保守革命が実現する」と公言してきました。安倍首相は、そうした発想の保守勢力が一丸となって支えているのです。拉致問題が追い風になったり、北朝鮮の核問題が絶好のタイミングで起きたりと、「運」のいい首相であるのは確かです。しかし、あなどるわけにはいきません。

 この臨時国会で、安倍政権は教育基本法改悪に向け全力を挙げてくるでしょう。国民投票法案の審議時間も積み重ねてくるはずです。共謀罪については「寝たふり」をしていますが、沖縄県知事選や福島県知事選の結果によってはわかりません。2つ衆議院補選も含め「4戦全勝」になったら、強行してくる可能性があります。

 権力は巨大で、しかもしたたかです。市民が対抗するには、どんなに手垢が染みついた言葉と言われようが、「連帯」しかありません。休日のいっとき、熱いが心地よい空気を共有しませんか。 (北村肇)