編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

『蟹工船』を読み、カネまみれになったカーテンの汚れを落とす

 編集長としての懺悔を告白したい。昨年後半、「『蟹工船』の大特集をしよう」という企画案が編集部員から出た。これを受け、本誌主催の「多喜二祭」ツアーも行なった。だが「テーマとしては地味だな」と思い、誌面での大展開はしなかった。「蟹工船」がブームになる状況を完全に見誤っていたのだ。

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「人を殺さない」ことが人間の本質であり、死刑は到底、認められない

 「死に神」に激怒した鳩山邦夫法相に問いたい。「何があっても動じない覚悟のもとに執行したのではないのか」と。治安のため死刑制度が欠かせないとの確固たる信念があるなら、どんなに揶揄されても堂々としていられるはずだ。私はむしろ、鳩山氏が、自らの苦悩の深さにより、激怒を引き起こしたと信じたい。

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NHKの番組改ざんをめぐる裁判に思う、マスコミへの期待値

 「ジャーナリズムは戦争を止められるのか」をテーマに、立教大学でシンポジウムを開いた(6月20日号アンテナ欄参照)。冒頭、150人の参加者に「止められるか」と尋ねたが、ほとんど手は挙がらない。次に「期待するか」と問うと、一斉に挙がった。「私も同様です」と話した。ジャーナリズムの最大の仕事は「戦争を止める」あるいは「戦争を起こさせない」ことだ。従って、「止められるのか」と問うこと自体、本来はおかしい。だが「期待はするけど現実が伴わない」、まさにそれが実態なのである。

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「水」までが一部の「資本」に独占される、これぞ「世も末」か

 宇宙にも自分の中にも「井戸」がある。そのことに気づいたのは村上春樹氏の小説を読んだときか。ひょっとしたら、かなり以前からわかっていたのだけれど、村上氏によって意識上に持ち上げられたのかもしれない。というのは、かなり小さい頃から、何度もその「井戸」に落ちた経験があるからだ。

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