知事にしてはいけない人間に投票した有権者へ「あなたも間違っている」と言いたい
2009年4月24日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「森田健作知事ねえ。まあ千葉だから」「あんたにそんなこと言われたくない。東京は石原慎太郎だろう。そういえば、大阪なんて橋下徹だよ」「いやいや、そのまんま東の宮崎には負けている」。最近、これに類した会話を何度したことか。そのつど、絶望的に自問を繰り返す。「有権者批判はどこまで許されるのか」。
パレスチナを考える。ハマスは選挙で選ばれた正当な政権だ。米国を筆頭に、西側諸国がどう批判しようと、その原点が揺らぐことはない。森田氏、石原氏、東国原氏もれっきとした「選良に選ばれた」首長であり、しかも圧倒的な支持を受けている。理念や主張が異なるからというだけで、徹底的に指弾していいものか。
いや、パレスチナとは根本的に違う。生死をかけた日常の中で行なわれた選挙で、ハマスは勝った。これに比し、テレビの延長線上にある、おちゃらけた風情で票を獲得した彼らは政治家ではない。やはり、投票した人にも「あなたは間違っている」と言いたい。ただ問題は、「間違っている」ことをどういう言葉で伝えればいいかだ。
タレント知事で思い出すのは青島幸夫氏。かつてこの欄でも触れたが、当選して一番、泡を食ったのは本人だった。新聞社の社会部記者として直接、取材していたので事実として語れる。「何をしていいかわからない」青島氏は、公約の「臨海副都心開発の見直し」に形をつけると、あとの政策は職員に丸投げだった。
投票した側はどうだったのか。有権者にインタビューすると「面白いから」という答えが多かった。「青島氏が面白い」より、「素人にやらせたほうが面白い」といった感覚に思えた。都知事選そのものをギャグに見立てていたのだ。タレント議員は掃いて捨てるほどいる。あの小泉純一郎氏も、政治家の資質というよりタレント性で勝ち抜いてきた。彼ら、彼女らの多くは、ギャグを期待する有権者に支えられた“政治の素人”なのである。
有権者批判の前に、劇場型選挙をあおったマスコミを弾劾すべきだという主張がある。それを否定はしない。しかし、新聞やメディアに文句をつけているだけでは何も解決しない。「自立した有権者になることがいかに大切か」ということを市民の共通認識にするための言葉が重要なのだ。
少数派であることを認識した上で、その言葉を見つけたい。腰を下げ、目線を低くし、決して排除主義に陥らない姿勢で。(北村肇)