「いい気分」だったのはセブン-イレブン本部だけ
2009年7月10日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
出張の荷物が減った。以前は電気カミソリから常備薬まで、細々としたものをバッグに詰めていた。ホテルの設備がよくなったこともあるが、コンビニの普及が大きい。どこに行っても24時間、開いているのだから、必要なものはみんな買うことができる。わざわざ重い思いをして持っていく必要はない。
正月の様子も変わった。コンビニがないころは松の内に食料を求めるのは大変。おせち料理に頼るしかなかった。今は元旦から、弁当だっておにぎりだって買える。とにかく便利だ。とともに、「人間の食べる代物ではない」と投げ捨てたくなる商品は、以前に比べ影を潜めた。それなりに努力はしているのだろう。相変わらずの食品添加物てんこ盛りには閉口だが。
昭和30年代の下町で幼少期を送った身には、小さな路地に並ぶ八百屋さん、魚屋さん、駄菓子屋さんの風情がなつかしい。といっても、ここまできてしまったら、もはやコンビニのない世界は想像できない。そして、天下のセブンーイレブンが、かように自分勝手な企業だったこともまた、想像できなかった。「いい気分」だったのは本部だけで、オーナーも取引業者も搾取され続けていたのである。いや、「搾取」は生ぬるい。もはや奴隷状態といってもいい。
本誌は昨年から、一貫してセブン-イレブン商法を批判してきた。私自身、初めて知る事実が多く、そのたびに唖然とした。読者の反響も大きく、第一部の連載を『セブン-イレブンの正体』として単行本にまとめた。配本にあたって、取り次ぎ会社・トーハンの窓口と軽くもめた。セブン-イレブンジャパンの鈴木敏文会長はトーハンの副会長でもある。現場の社員がとまどうのは想定内だった。このあたりの事情は、インターネットでも話題になった。結果的に通常配本となったが、拒否されたら、徹底的に闘う気だったのは言うまでもない。
閑話休題。裁判で「鈴木商法」が断罪されたこともあってか、公正取引委員会はセブン-イレブンに排除命令を出した。だが、今週号で指摘したように、同社が深く反省して商売を根本から改善するとは考えにくい。命令を逆手にとり、ますます「一強体制」を目指すのではないか、との見立てもある。コンビニ業界の経営が厳しくなれば、資本力のあるセブン-イレブンだけが生き残ることもありうるからだ。
コンビニとは、「弁当も人もあっけらかんと捨てる技術」という意か。(北村肇)