「公約」を「マニフェスト」に変えた思惑
2009年8月28日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
いつの間に「公約」が「マニフェスト」に変わったのか。それを考えていると、新聞記者になったときから引っかかっていることを思い出す。「ジャーナリズム」にあてはまる適当な日本語がないという事実だ。辞書には「報道活動」とあるが、どこかしっくりこない。その理由について、私なりにこう解釈している。
日本の新聞は、先の戦争報道において、記者魂や報道人としての倫理観を根底から粉々にしてしまった。戦後、「大本営報道」の過ちを反省し「客観報道」を打ち出したが、これは許されざる失態を覆いかくしたようにみえる。真の「ジャーナリズム」とは何かと、真摯に突き詰める作業をあえて回避したからだ。
そもそも、当時、新聞界では「腐敗する権力を監視し、批判する」という精神を言葉として表現できていなかったように思える。「報道」が「取材し、事実を報じ、解説し、論評する機能」をもつことは、当然、認識していただろう。だが、業界としてはそこにとどまっていたのだ。むろん、個々の記者の中に、上記のような精神を持っていた人が数多くいたことは容易に想像できる。
戦後、新聞としての戦争責任をあいまいにすることなく、「権力を監視する」との意味合いを含んだ言葉を作りあげていれば、報道界は大きく変化していたはずだ。マスコミの堕落も多少なりと防げたかもしれない。
「マニフェスト」に戻ろう。これも背景には、あえてきちんとした日本語にしない思惑があるのではないか。「公約」はまさに約束事であり、反故にした場合は責任をとらなくてはならない。しかし「マニフェスト」は単に政策を羅列しただけであり、「約束」の色合いは薄い。
今回の総選挙では、各党とも「マニフェスト」を競い合う。とともに、それぞれが「実現性のなさ」を批判しあう。たとえば「社会福祉の充実」については自民、民主ともに主要な政策として掲げているが、財源を含めて道筋がみえない。本誌今週号で特集したように、日本は世界でも有数な“貧困国”である。こうした状況を脱するには、大胆な国家戦略が欠かせない。なのに、厳しく言えば、両党とも小手先の言葉遊びで終始している。
もっとも、マニフェストの内容がわかりにくいのは当然のことだ。何しろ、わざとあいまいにすることで責任を回避しているのだから。(北村肇)