鳩山首相に望むのは、事業仕分けの前に「憲法を具現化する」と宣言することだ
2009年10月30日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
政権支持率が下がらない。「故人献金」の地検捜査着手、小沢一郎氏の強引な党運営など、命取りになりかねない報道があってのうえだから、鳩山人気はなかなかのものだ。だが、私の評価は落ちつつある。具体的な政策の問題ではない。いまだに、どこを向いているのか新政権の方向性が定まらない。そのことへの不満である。
国家戦略室に行政刷新会議と、これまでの官僚主導を覆すべく、さまざまな策が繰り出される。刷新会議の事業仕分けが進めば、次々と「ムダ」が俎上に載るだろう。それはそれで結構なこと。大いに進めてほしい。ただ、肝心なのは「ムダ」の質である。
たとえば、官僚天下り団体への補助金、アニメの殿堂などはわかりやすい。一部のダムや道路建設の凍結も、市民感覚でうなずける。だが、もっと本質的なムダもある。原発推進に関わる国費が典型だ。原発は、さまざまな意味で「予測不能」というリスクを抱えている。起こりうる事故も、それがもたらす損害も予測ができない。このような技術への投資はムダとしかいいようがない。
民主党の動きをみていると、概算要求の95兆円から3兆円削るとか、赤字国債を44兆円に抑えるとか、数字ばかりが取りざたされ、「ムダとは何か」といった基本的な論議が行なわれていない。これでは民間企業と変わりない。いや、企業だってもう少し「哲学」がある。
本質的なムダの一方には、社会にとって必要なムダもある。生活保護の母子加算を前政権はムダと判断し廃止した。新自由主義を基盤とする自民党政権としては当然の措置でもある。これに対し、新政権は必要だとして復活を決めた。ここにおいては、「ムダ」に関して180度の転換があった。ところが、折角の政策も「バラマキ」に見えてしまう。なぜか。鳩山政権が目指す理想の社会像がはっきりしないからだ。
ちなみに、私が理想とするのは「不自然死のない社会」である。市民が自然死をまっとうするためには、何よりも戦争を起こしてはならない。戦争に巻き込まれないための外交が欠かせない。また、自殺を防ぐためのセーフティネットが重要となる。当然、格差・貧困社会の一掃、子どもたちの人権を最優先した教育――等々の政策が重視される。
ここで気づく。要は、憲法を具現化すればいいのだということに。事業の仕分けもいいが、まずは、鳩山首相がそのことを宣言すべきなのだ。(北村肇)