編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

信頼をおけない「国家」に、「ついていいウソ」はない

「ウソをつくことは悪い」は限りなくウソに近い。「ウソをつかないことが悪い」例はいくらでもあるからだ。子どもができた知人に「かわいい顔してるだろう?」と言われたら、たとえ『猿の惑星』を連想させる赤ちゃんであったとしても、「かわいいね」と肯く。「不細工だな」と本当のことを言って、プラスになることは一つもない。

 かねてから取り沙汰されていた日米間の密約がようやく「公式」化した。米国で公文書が明らかになってからも、日本の政治家や官僚は市民・国民にウソをつき続けた。だが、政権交代により、不十分ではあるが一端が明るみに出た。予想通り、内容や公表の仕方をみる限り、当事者には罪の意識がなかったように思える。例によって「すべては国益のためだった」をタテマエにしている。

 密約を検証してきた外務省の有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)の報告書にも、そのあたりの感じが色濃く出ている。たとえば「1960年の日米安保条約改定時の核持ち込み」は「『暗黙の合意』という広義の密約」というあいまいな表現になっている。「1972年の沖縄返還時の有事における核再持ち込み」にいたっては「必ずしも密約とはいえない」とすり抜けた。何とか徹底的な断罪は避けたいとの思惑がうかがえる。

 そもそも、密約を裏付ける文書が故佐藤栄作元首相の自宅から発見されたという「特ダネ」が昨年12月、『読売新聞』に載ったことに疑問を感じる。この記事をきっかけに、「公的文書」ではないという流れが生まれたからだ。リークという証拠はない。だが、30年の新聞記者経験から、その可能性が高いとみている。

 外務省は、日米間の密約検証を踏まえ、外交文書公開を促進する有識者らによる特別委員会を設置する。結構なことだ。大いに進めて欲しい。「官から政へ」と大々的に旗を掲げながら、経済政策では財務省主導、沖縄基地問題は外務省のシナリオ通りと、新政権らしさはほとんど感じられない。せめて密約問題では、自民党政権との違いを目に見える形で示してもらいたい。
 
 ところで、冒頭の例が成り立つのは、私と知人の間に深い信頼関係があるからだ。「ついてもいいウソ」が許されるのは、「ついてはいけないウソはつかない」という揺るがぬ信頼感あってこそだ。私はこの国の為政者を信じていない。多くの市民・国民も同じだろう。だから「ついてもいいウソ」など認めないし、そもそも、国益を「民益」の上位に置く連中にろくなヤツはいない。(北村肇)

オウム事件の闇を解き明かせない自らの無力さがもどかしい

 報道人としての無力さに打ちひしがれることがある。

 地下鉄サリン事件が発生したとき、新聞社の社会部にいた。連載や大型企画のとりまとめをする立場だった。この年(1995年)の1月には、阪神大震災が起きた。その企画であたふたしているところに発生した前代未聞の事件。いま振り返ると、何も考えない日々だった。頭にあるのは、その日や翌日の紙面をどうつくるかだけ。忙しいというレベルは越えていた。それは「ジャーナリストとしては無力」を意味した。

 発生からしばらく時間がたち、多少、冷静になると、次々に疑問点が浮かび上がった。

「坂本弁護士一家殺人事件はオウムの犯行である可能性が極めて高かったのに、なぜ警察は捜査しなかったのか」「松本サリン事件でもオウムは捜査対象に入っていたのに、なぜ強制捜査が遅れたのか」「村井秀夫幹部はなぜ殺害されたのか」――なぜ、なぜ、なぜ……。

 しかし、オウム事件の深い闇はそこにとどまらない。そもそも、一連の事件を刑事事件としてとらえた愚かさに気付いたのは、何年も後だった。オウム真理教は宗教団体である。教義があり「麻原昇晃」という”神”(グル)が存在する。たとえば、神の言いつけに従った信者にとって、「ポア」は刑法上の殺人ではない。むしろ「衆生を救済する」という意味合いが濃かったはずだ。

 いわゆる「悩める若者」ばかりではなく、それなりの学識をもった人々がオウムに集い、麻原氏に心酔した。そして、ある種の自爆テロに走った。社会に氾濫する邪悪なるものを滅ぼす。その行為は快感ではあっても罪の意識を伴わなかったのではないか。

 こうしたことの本質を解明しない限り、「オウムなるもの」が何かはわからない。断罪もできない。だが、事件から15年たったいまも、私には何らの解答も浮かばない。それどころか、ますます混迷に陥るばかりだ。

 その一方で、淡々と裁判は続き、麻原氏を含め多くの被告に死刑判決がくだされる。いかなる理由があれ、裁判所は刑法、刑事訴訟法に基づき判断をする。民主国家であれば当然だ。しかし、報道に携わる者は、「麻原彰晃」を一人の変質者、殺人者に仕立て上げてしまった「力」とは何かを抉り出さなくてはならない。それができない無力さ、非力さ、もどかしさに襲われる。(北村肇)

外国人参政権法案早期成立のためにも、ていねいな説明を

 マンガを読む速度は、欧米人に比べ日本人のほうが格段に早いそうだ。日本語の特殊性が寄与している。普段から漢字(表意文字)とひらがな(表音文字)を一緒に脳で処理している日本人は、絵とふきだしを瞬時に認識できる。内田樹さんの『日本辺境論』(新潮新書)で知った。脳機能研究によっても証明されているらしい。

 米国属国の日本は、せっせと英語教育に力を入れる。まずは日本語を勉強させろと、つい”右翼”的になってしまう。何とも不思議なのは、保守陣営(言論界も含め)から英語排斥論が出ないことだ。もし英語が公用語化すれば、確実に日本文化そのものが変容しよう。それでも構わないということなのか。

 一方で、外国人参政権問題では、「絶対反対」「日本が滅びる」「中国に占領される」といった勇ましい言葉が飛び交う。どうやら、こうした「排外主義」の主張はもっぱら中国、韓国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に向けられ、米国は範疇に入らないらしい。強い者には服従し弱い者は排除する――これでは、大和魂も武士道もあったものではない。

 資源のない島国の日本が生きていくためには、大きくいって二つの選択肢がある。「他国を侵略して植民地化する」「各国と友好関係を結び、共存共栄を図る」。前者を選ぶ人はまずいないだろう。となれば、善隣外交を展開するしかないのだ。

 それには、「他国を受け入れ、他国に受け入れてもらう」姿勢が必須になる。むろん、迎合を意味するものではない。歴史の違い、文化の違いを尊重しあったうえでの外交が重要ということである。日本の場合、侵略戦争の過去をもっており、しかも十分な反省、謝罪がないのだから、まずはそこを解決するのが前提であることも忘れてはならない。

 政権が準備している外国人参政権法案は、地方選挙の「投票権」にすぎない。さらに「永住資格をとって5年以上の外国人」が対象だから、ごくわずかな人数だ。朝鮮半島・台湾出身者の一般永住者が42万人、それ以外の一般永住者が49万人で100万人にも達しない。このあたりの情報が、市民・国民にきちんと伝わっていない気がする。だから、まるで国会が占拠されるかのような不安感を抱く人がいるのだろう。

 一方で、賛成の立場の側でも、朝鮮総連が法制化に反対している事実を知らない人がいたりする。与党は早急に、ていねいな説明を市民・国民にすべきだ。それが、一刻も早く外国人参政権への道を開くことにつながる。今国会の成立をあきらめるのは早い。(北村肇)

ブレア氏も小泉元首相も、イラク戦争“戦犯”に時効はない

 赦したい。どんな人でも、たとえ何があっても。赦すことで自分が救われる。うらんだり、なじったりしても、それはとりあえずの頓服薬にしかならない。結局は心の免疫力を低下させ、うらみの閾値が下がっていくだけだ。そして、一旦、負の連鎖にはまりこむと、容易には抜け出せない。その先にあるのは自己嫌悪だけ。

 わがままで気が短く、すぐに泣きわめく。そんな子どもだった。困った祖父母が私の手に何度も墨で「鬼」と書いた。”さわぎの虫”が出て行くおまじない。じっと見ていると、白い糸のようなものが掌から立ち上っていく(気がした)。そのおかげもあってか、随分と我慢強く寛容な大人になった(気がする)。

 しかし、やはり、どうしても赦せないことは赦せない。赦せない人間は赦せない。とりわけ、強い力と影響力をもった人間が、他者を虐げ、踏みつけることは断固として赦せない。

 その顔を見ると、にわかに「寛容な自分」が消え失せる。小泉純一郎元首相がそうだ。米国のイラク侵略をいち早く支持しただけではなく、口先のごまかしで市民・国民を騙し続けた。英国のブレア前首相と同罪である。

 イラク戦争の“正当性”を調査している英国の独立調査委員会は1月29日、ブレア氏を証人喚問した。AFPはこう伝えている。

「公聴会から一夜明けた30日の英各紙は、参戦を後悔していないという前首相の証言に衝撃を受けた様子の論調が目立った。英紙ガーディアンは……『委員らは後悔していないかと質問することで、ブレア氏に『謙遜への招待状』を手渡した。傍聴席にイラクで死亡した兵士の遺族もいたことは彼も知っていたはずだが、ブレア氏はその招待状を吹き飛ばした。これが、ほぼ完璧だったこの日のパフォーマンスのなかで唯一の欠点だった。傍聴者は自制心を失い、会場はブーイングと涙であふれた』(と報じた)」

 ブレア氏同様、何ら反省もない小泉氏は、喚問されることもなく、息子を後継者として国会に送り込んだ。紛れもないイラク戦争の”戦犯”がヘラヘラとした笑顔をみせる姿に虫酸が走る。民主党連立政権は、一刻も早く調査委員会を立ち上げるべきだ。いかなる戦争も、都合のいい大義名分を貼り付けた大量殺人にほかならない。イラクへの侵略から7年。”戦犯”に時効はない。(北村肇)