編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

人類には、そんなに働かなくても暮らしていけるだけの「余剰時間」があるはずだ

 おかしい。どう考えてもおかしい。何で多くの労働者が長時間労働にさいなまれているのか。一方で、働きたくても場がなく、貧困にあえぐ人がなぜ生まれるのか。科学の発展は「時間」を生み出すはずだ。身近な例で言えば、1時間かかっていた洗濯が洗濯機のお陰で10分に縮まれば、50分浮く。農業や製造業分野では、さらに桁違いの「時間」が浮いているはずだ。すべてを蓄積したら大変な「時間」になる。

 第3次産業や消費産業が主流になる社会は、生活するために必要な物資が、かつてよりはるかに少ない労働力でまかなえる社会だ。仮に十分な食糧の生産ができなければ1次産業に携わる労働者がもっと必要になり、人類にとって、サービス産業に多くの人力がかかわる余裕はなくなるだろう。
 
 現実社会では、「モノ」を製造しない、あるいは生産しない職種が次々に生まれている。本格的な新自由主義時代に入ると、マネーゲーム産業ともいうべき「カネ」のみを扱う究極のビジネスが肥大化し、リーマンショックで明らかなように、世界を激動させるだけの影響力を持ってしまった。
 
 こうした状況を見る限り、地球上のすべての人間が、飢えもなく長時間労働もなく暮らしていけるだけの「余剰価値」は、もう十分、蓄えられているはずだ。それが公平に分配されていないことが問題なのである。

 本誌今週号は、就職戦線を特集した。長期不況の出口が見えない中、今年も買い手市場のようだ。大学生の間では、「卒業イコール失業者」という、笑うに笑えないギャグがとびかっているという。明治安田生命保険のアンケート調査によると、新入社員の51.9%が終身雇用を望み、「いずれ起業・独立」と答えた人は7.5%にとどまった。これも、厳しい就職戦線を表すデータといえよう。

 大学生でもこうなのだから、仕事を求める高校生や中高年にとっての現実はより深刻である。だが、国の対策がはっきりしない。「福祉や環境分野の労働市場を広げる」というお題目はあるが、具体的な政策が一向に見えてこない。
 
 まして、人類の知恵が生んだはずの「余剰時間」をどう配分するのかという根本的課題について、論議した様子は影も形もない。政権交代が「革命」と言うのなら、すべての人の生活を保障する、真の平等に向けての思い切った舵取りをすべきだ。(北村肇)