着物文化は「右翼の専売特許」ではない
2010年4月9日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
着物と聞くと、質屋を思い出す。祖母に連れられ、よく通った。幼児の私には意味がわからなかったが、店のおじさんのくれるあめ玉がうれしかった。後年、戦前はそれなりの「家」で育った祖母が、箪笥にしまっていた着物を生活費に替えていたことを知る。洋服を着ない祖母にとっては、身を切るような思いだったろう。
水商売をしていた母親も「仕事着」は着物だった。日本舞踊を習っていたときは、私も時折、着物を身につけた。どちらかといえば、着物に囲まれた家であった。同年代の本誌編集委員、田中優子さんもいつも着物姿だ。敬愛する作家、澤地久枝さんも和服姿しか思い浮かばない。本誌今週号で、お二人に「きもの対談」をしていただいた。
澤地 私は大人しくしていても恐ろしいことを考えていると思われるような生き方をしてきちゃったから、きっちりとしたスーツを着てピンヒールなんか履いてものを言ったらもう、ますます猛々しく見えるだろうなあと思ったのね。……それでたぶん着物が助けてくれるだろうと。
田中 たとえば講演するときには必ず着物なんですが、腹の据わり方が違う、と自分で思うんです。肩の力は抜けていて、腹は据わっている状態になるんです。そうすると、頭で考えて過激なことを言っているというのではなくて、本当に腹の底から思うことを言えばいいというか、そういう姿勢と共に着物を着ているんですね。
着物を着ると、確かに引き締まった気分になる。子どものころは、身につけるのが嫌いではなかった。だが高校に入ったころから、夏の浴衣にもあまり手を通さなくなった。着物は戦前の異物であり、戦争責任が染み込んでいるかの印象にとらわれていた。
大学に入ると、ますます過激化。「着物は右翼の専売特許」とすら感じるようになった。それどころか、「日本固有の文化」や「伝統」はすべて天皇制につながるとして忌避した。若いとはいえ、単純すぎた。着物文化が戦争を起こしたわけではない。諸悪の根源は、他国を侵略し日本固有の文化を押しつけること、天皇制にからめ国民に強制することだ。
これらのことを頭では理解している。だが、どうしても「伝統」という言葉は気分的になじめない。新しい学習指導要領では「伝統」を重視した教育が実践されるなどと聞くと、ますますむかつく。「国家の強制」はこの国の「伝統」なのかと言いたくなってくる。ただその思いが強すぎると、意図せずに他国の文化や伝統をすら否定してしまう危険性がある。心しておきたい。(北村肇)