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マスコミが平然と続けるマッチポンプのような世論調査の罪

 民主主義とは何か、学生時代から考えてきた。解答はまだ思いつかない。ただ、多数決主義がそれではないことは確かだ。多数派の意思が通るということは、少数派の意思が無視されることでもある。マイノリティーの声に耳を傾けることこそ民主主義なら、多数決によってことが進むのは横暴ともなりかねない。

 しかし、権力を持った少数の人間が勝手にふるまうのは、民主主義から最も遠い地点のことだ。やはり、多数の人間の意思が尊重されねばならない――と、かように思考は堂々巡りをしていき、終着点がない。結局、「絶対的存在者に判断を委ねるしかない」という安易な方向に走った先に、最も忌むべきファシズムがあるのだろう。

 すべての個が自立し、しかも他者の存在に想像力を働かせることのできる社会なら、多数決が横暴になることはあるまい。だが、その理想ははるかだ。となれば、メディアの役割が重要となるのに、現状は薄ら寒い。残念ながら、マッチポンプのような世論調査を平然と続ける新聞・テレビには、ほとんど期待できない。
 
『東京新聞』6月10日朝刊の「全国世論調査」をみて愕然とした。「菅首相は米軍普天間飛行場移設問題で、移設先を沖縄県名護市辺野古崎とした日米合意を踏まえて今後対応する考えです。この方針を評価しますか」との問いに、半数を超える52.2%が「評価する」と答えた。「評価しない」は34.5%、「分からない・無回答」が13.3%だった。

 この数字は何を意味するのか。普天間問題が鳩山由起夫氏の致命傷になったのは、「移設先が沖縄県外あるいは国外にならなかった」からではなく、「ふらついていた」からであることを示している。このままでは、移設先が普天間に落ち着いても菅政権の支持率が大きく下がることはないだろう。沖縄はまたしても見捨てられるのだ。
 
 こうした「民意」が生じたかなりの責任はマスコミにある。『朝日』も『読売』も、「鳩山首相の腰が定まらないから、日米同盟が揺らいでいる」というトーンの報道をし続けた。“被害者”沖縄への想像力は欠如し、米国との関係が壊れたら日本の安全が守れないという、古色蒼然たる主張を振りまき続けたのだ。そして世論調査で鳩山政権の支持率が下がるたびに「それみたことか」とあおった。
 
 民主主義とは何か、メディアの役割とは何か、マスコミがこのことを真摯に考え、日々の報道に生かさない限り、この国に未来はない。(北村肇)

社民党は「現実を理想に引き上げる」与党を目指せ

 政権離脱後、社民党の支持率は若干ながら、上がった。福島みずほさんの決断は正しかったといえる。「ダメなものはダメ」という筋の通し方は、土井たか子さんを彷彿とさせた。「愚直な野党」が甦ったようであり、それへの支持だろう。

 連立政権に入り、大臣に就任した頃の福島さんは精彩がなかった。発言も切れ味が悪く、正直、「テレビには出ない方がいい」と思っていた。だが、今回のインタビュー(本誌今週号に掲載)では別人だった。1時間半、マシンガントークは冴えわたり、目の輝きも、初めてあった当時(20年以上前だが)に戻っていた。いかにもふっきれた感じだった。

党首の立場上もあってか、本人の口から具体的なことは聞けなかったが、社民党内では「連立離脱はすべきではない」という強い声があった。仮に福島さんが鳩山氏のようにふらつけば、土壇場までもめ続けた。その上で政権にとどまるようなことになったら、支持率は下がったはずだ。「党としての決断」と福島さんは強調したが、実態は「福島党首の決断」である。そこに与党としての「政治的妥協」の入る余地はなかった。土井さん同様、福島さんは野党党首が似合っている。

 とはいえ、政党である限り、政権を目指すのが当然だ。55年体制の社会党のように、自民党の補完勢力に甘んじていては、ぬるま湯の中で堕落するばかりだ。かつて自民党と連立を組んだときは、さんざん利用されたあげくポイと捨てられた。今回は違う。自らの意志で決然と政権から離脱した。このことに自信を持ち、8ヶ月とはいえ与党だった経験を生かし、どうやって政権への道筋を描くのか、そのことがこれからの社民党に問われる。

 政治は「理想を現実に引きずり下ろす」ためにあるのではない。「現実を理想に引き上げる」ためにあるのだ。「ダメなものはダメ」は決して野党的スローガンではない。「ダメ」とわかっていることに化粧を施し、受け入れてしまうことが与党の役割でもない。政権政党こそ理想を目指すべきなのだ。

 菅直人政権の閣僚や党幹部をみると、新自由主義論者とおぼしき議員が目立つ。現時点では、鳩山政権以上に社民党との接点は少ないようにみえる。

 この際、社民党は独自に「現実を理想に引き上げる」与党を目指し、共産党や民主党の一部議員、さらにはNGO、NPOとの接着剤になるべきだ。その日がくれば、日本の政治は大きく変わるだろう。(北村肇)

理念はあるが自信のなかった鳩山氏を継いだ、現実主義で自信家の菅氏

 鳩山前首相は「理念」の政治家だった。「コンクリートから命へ」と言い換えた「友愛」しかり、米国からの自立しかり。そこには日本的な社会民主主義政策への意気込みもみられた。だが、結果的には、官僚やマスコミの「現実論」に打ち倒され、最後は理想を放り投げる形で討ち果てた。やむをえない結末だった。

 誤算の一つはオバマ大統領に対する評価にあった。鳩山氏はおそらく「チェンジを掲げた大統領は自分と同じ理念の政治家」と勘違いしたのだろう。オバマ氏は極めて現実主義者である。属国・日本の首相が描く理想論など、歯牙にもかけない。土壇場までそのことに気づかなかった鳩山氏に総理の資質はなかった。

 そして何よりも欠けていたのは「自信」だ。官僚や閣僚に何か言われる度にふらふらしたのは、自信のなさの証である。宇宙人と揶揄されても、とことこん理想を追求し続ければよかったのだ。沖縄・米軍基地問題にしても、「そもそも米軍常駐の必要はない」という姿勢を、徹底的に前面に押し出すべきだった。理念が信念まで高まれば、そこには迫力が生まれる。理想を背景にして戦い抜けば、官僚はもちろん、オバマ氏だって一歩、退いたかもしれない。

 過ぎたことに触れるのはここまでにして、さて、火中のクリを拾ったのか、漁夫の利を得たのか、菅直人氏が悲願の総理の座を射止めた。いまの時点であれこれ評価するのは適当ではないが、副総理でありながら、普天間問題では「貝」を貫き通したことには疑問符がつく。意地悪い見方をすれば、首相の椅子がころがりこんでくるのを待っていたのではないか。
 
 だが、見方によっては、現実主義者の面目躍如とも言える。民主党代表選での「小沢一郎外し」も見事なものだった。鳩山氏と異なり、菅氏はしたたかな政界遊泳術を身につけている。理念と現実政策の折り合いをつけられなかった鳩山氏とは違い、米国や霞ヶ関とも、うまくやるだろう。
 
 しかも、自信家である。優柔不断な姿は見せないはずだ。永田町では「小泉純一郎氏に似ている」という声がある。確かに、いざとなると口角泡を飛ばして持論を展開、相手を打ち負かす手法はそっくり。もう一点、近似性があるのは、理念がどこにあるのか見えない、というところだ。ふと気付いたら米国主導の新自由主義に染まっていた、などとならなければよいが。(北村肇)

首相が変わっても、日米安保条約を廃棄しない限り、日本は「独立」できない

 風邪引きで寝込んでいると、普段は意識の外にある雨音が鮮明に聞こえてくる。とはいえ、それは雨そのものではなく、初夏の深みを増した葉に落ち、葉をさまざまに震わせることで生まれる。なまじのピアノ曲より心地よいリズム。時おり交じるカラスの鳴き声もご愛敬だ。雨は本来、苦手なのに、こんなときもある。

 われながら嫌になるが、病に伏していても、ニュースの時間になると律儀にラジオのスイッチを入れる。この日は、沖縄の基地問題、緊張を増す朝鮮半島情勢が大きなニュースとして取り上げられていた。ふくよかに何もかも包み込む自然に比べ、卑小な人間社会の醜悪さに引き戻され、ますます咳き込みがひどくなる。

 この国も病んでいる。病気やそれをもたらすウイルスは一つではないが、もっとも強力で悪質な感染源は、何かと「力」で解決しようとする米国だ。

 同国の日本占領政策の基本は「価値観の同化」だった。食生活から服装、音楽まで、ライフスタイルは知らぬ間にアメリカナイズされていた。外交は、世界の警察官たる米国の「核の傘」に入ることが前提だった。広島・長崎の惨禍を経験した日本が、「核」の力に頼るという絶対的な矛盾を強いられたのだ。この矛盾を巧みに隠蔽したのが日米安保条約だ。憲法9条をもつ日本が二度と戦争を体験しなくてすむように、米国は日米安保のもとに日本の平和を守りぬく。そのかわり、いつでも自由に使える基地を日本は提供する、という建前だった。

 50年前、日本は米国の属国から抜け出る機会をもった。日米安保の改定阻止闘争が全国に広がり、真の独立を目指す無数の市民が立ち上がったのだ。だが圧倒的な「力」のもとに闘争は敗北に追い込まれる。爾来、「価値観の同化」はますます巧妙に進み、歴代の政権もまた、そこに手を貸した。鳩山政権崩壊の陰に米国の姿を見るのは私だけではあるまい。

 今世紀に入り、新自由主義というウイルスは、「戦いに勝ち抜いた者だけが富を得る」として、自己責任なる疾病をもたらした。これもまた「力がすべて」という価値観の押しつけである。私たちは長い間、自然の恩恵のもとで、助け合い、もたれ合って生きてきた。他者を押しのけることで利益を得るといった生き方は、そもそもむいていないのだ。それを無理矢理、強制されたら、体を壊すのは当然である。健康回復のために、まずは日米安保条約を廃棄してはどうか。首相が交代しても、独立国としての立場を固めない限り、対等の日米関係は結べない。(北村 肇)