メディアに対してだけでなく、教育や教科書へも読み解く力(リテラシー)が必要である。
2011年5月20日9:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
『週刊金曜日』を含むメディアに対してだけでなく、教育や教科書へも読み解く力(リテラシー)が必要である。その際、何を教えられているかに目をこらすことは当然である。一方で何が教えられていないのか、を見ようとすることも大切だろう。いずれにしても子ども自身には難しく、大人の責任は重い。
さて、私もそうだが、友人の家族は子どもへの放射能汚染を気にしている。最近、水道水の汚染は「基準値」以下になっているが、飲ませないほうが安心だ。彼の家族は、これまでお目にかかったことのない韓国製のペットボトル水を買い込んでいた。安いと言うがタダではない。不安を感じていても余裕がない親は、後ろめたい思いで子どもに水道水を飲ませ続けているだろう、と、ふと思った。原発事故は、子どもに安全を与えられないという無用な罪悪感や悲しみを親に与えてしまった。このことへの感受性を東京電力や原子力行政の大人たちは持ち合わせているのだろうか。教育現場の大人たちはどうなのだろう。 (平井康嗣)