編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

被災状況調査アンケート

六月初旬、当社では被災地となった岩手、宮城、福島の定期購読者のみなさんに、「被災状況調査アンケート」を実施しました。被災された定期購読者の方々がおられることは間違いなく、現況が非常に気になっていたからです。いただいたアンケートの返信ハガキのメッセージ欄には多くの方の声をいただき、本当にありがとうございました。僭越ではありますが、一部を紹介させてください。

「自宅は原発より二二㎞の所です。不安な毎日を送っています」
「原発事件では毎日放射線量を確認して生活しています」
「こどもは外で遊べず、成長に必要な経験をさせてやれません! 人生が狂ってしまいました」
「津波では多くの友人、知人の悲惨な状況を知り、只痛哭するのみです」
「今後も被災者の目線での報道を期待します」
 など、たくさんの現況報告やメッセージをいただき、私たちが反対に励まされました。さらに気を引き締め報道を続けていきます。 (平井康嗣)

震災から三カ月を受けた六月一一日――。

編集長後記

 震災から三カ月を受けた六月一一日――。ともかく原発をやめろと訴えるデモや企画が開催された。世界中で一〇〇万人の参加を目指し、日本国内では一〇万人が参加したという。私は、二万人規模の新宿デモを取材し参加した。この前日、『週刊金曜日』とたんぽぽ舎共催の福島に住む母親を呼んだ講演会を開催しニコニコ動画が生中継したが三万人近く視聴された。いまだに原発への怒りはおさまっていない。

 一方、これと裏返しに、原発推進の動きや反原発の揚げ足取りも強まっている。こちらは、少数の政財界人や識者たちで、執拗に自分らこそが“正しい情報”だと言い続けている。だが、このようなことに惑わされてはいけない。正しい情報を追い求め続けるあなたには、実は決断する機会は死ぬまで訪れない。科学は未完成だし、真理はどこにあるのかわからないし、わたしたちの情報は常に不十分なのである。自分の直感を信じて、決断するしかない。

 さて、一〇〇万人デモの気合いに吹き飛ばされない誌面をつくらねば。 (平井康嗣)

今週号のタイトルは迷った。

編集長後記

 今週号のタイトルは迷った。「放射能と食卓」もしくは「放射能と食品」と考えていたのだが、いざ、もとき理川さんのイラストがあがってきたら、牛や豚や鶏の鼻っ面に「食品」という文字を置くことがいやになった。なんだか人間中心主義丸出しだからである。

 私はきまぐれにベジタリアンをやったことはあるし、マクドナルドや牛肉を個人的にボイコットしていたこともあるが、いまではあらゆる肉を美味しく食べている。定期的にホルモンを食べたくなって、足立のもつ鍋屋や、立石のもつ焼き屋の暖簾をくぐる。ただ鯨食論争に至らなくても、動物を食べることについての議論になると死刑制度についての議論と同じくらい場が暴力性を帯びて熱することがある。殺して当然だ、食べて当然だと言い切る相手を見て不快さを感じたことはたびたびある。

 私が生きるためにいろいろな命を奪っていることは、しょうがないと思っている。生きたいから。しかし人間中心の欲望を開き直り続けていてはだめだ。原発も開き直っていたらなくならない。(平井康嗣)

東京電力の記事で、佐高さんが木川田一隆について書いている。

編集長後記

 今週号の東京電力の記事で、佐高さんが木川田一隆について書いている。木川田は、日中国交回復以前に中国に渡っている。資本主義の権化である財界トップが、共産主義の国にすんなりと入れるものではない。特別のパイプがあったのだろうが、型破りだ。

 こういうときでもないと言及する機会もないので触れるが、木川田が暮らした千葉県市川市は私の生まれ育った町だ。永井荷風が住み、村上春樹の『1Q84』の主人公の出身地でもある。実は木川田の孫は小学校の同級生で一年生のときにいきなり誕生日会に呼ばれて家に行ったことがある。家は大きくて、じいさんが東電のエライ人だとは聞いていたが、その数年前に原発を福島県で営業させていた人物だとは最近まで知らなかった。性格が違うので彼とは親友にはならなかったが、振り返ると小学校から高校まで同じだった人間は彼ともう一人だけだ。親近感を覚えていただけに今の東電の腐れ体質には違和感を覚える。会社にも寿命があるということなのだろう。 (平井康嗣)