編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

学校のいじめについて、大人たちの間では議論百出、正解は出やしない。

編集長後記

 学校のいじめについて、大人たちの間では議論百出、正解は出やしない。ここで大人たちが子どもに示せる背中は大人社会のいじめにどう向き合っているかを見せることが一つある。マスコミや警察は正義面して学校にクビを突っ込むが、自らの組織のいじめ・ハラスメント問題にどうケリをつけているのか。今セクハラ、パワハラ、モラハラなどは、どの組織でも問題になっているはずだ。問題がなくてもセーフティネットを用意する必要はある。弊社でも今年に入りパワハラ規定をつくろうと議論を始めた。先日は某団体でカウンセリング窓口をしている女性を講師に、社内勉強会をした。ポイントはいくつかあるが、やはり被害者に寄り添う外部の窓口をつくることが重要だ。その団体では週に何回か相談窓口を設け、「被害者」の希望があれば専門家も入れた人権委員会への申し立てなどで対応しているという。その一方で当該組織の自己解決能力を強めるようにも気をつけているという。このような仕組みは学校にも有効だと思う。(平井康嗣)

七月一六日のさようなら原発10万人集会には、『週刊金曜日』は、編集部に業務部も参加して、メッセージのチラシを配った

 七月一六日のさようなら原発10万人集会には、『週刊金曜日』は、編集部に業務部も参加して、メッセージのチラシを配った。
 次々と訪れる熱い読者の方々と話もできて、ひととき楽しかった。

 さて、民主党の大臣が最近、民放に生出演している姿が目につく。
 どんなコメンテーターよりも大臣の生出演はテレビ局にとって美味しい。
 これで懐柔されるとは思わないが、メディア戦略を政権はかなり意識し始めているようだ。
 七月一一日、一〇〇兆円の日本再生戦略の原案をまとめたという古川国家戦略担当大臣がテレビ東京系に出演。

 一六日にはフジテレビに野田首相が生出演。警察も介入し始めたいじめ問題について「いじめている子がいるとすれば、その行為はひじょうに恥ずかしい行為である。卑劣なことである」と語った。
 マニフェストにないことばかり実施する首相は、原発再稼働や消費増税について国民や住民だけでなく、党所属の国会議員すらも無視している。
 学校ではこのような「無視」も「いじめ」という。

(平井康嗣)

この国は、ここで暮らす人びとにどのようなメッセージを発信しているのか

 この国は、ここで暮らす人びとにどのようなメッセージを発信しているのか。
「すべての情報は命令だ」と指摘した哲学者もいるが、日本の集団が発する情報は内面には不寛容な命令を孕み、わたしは居心地を悪くしている。

「安心・安全」な地域社会をと言うほど、日本は不安で危険だと脅迫してくる。
 朝鮮人学校に補助金を拠出しないこと。
 それは、勉強しなくてもいい子どももいるという差別を認めろと言うこと。

 子ども手当をなくし、生活保護給付や医療費を削減して財政再建を言う政治家は「生きるな」というメッセージを正義面の裏から発している。
 胃ろう患者をエイリアン云々と言った石原伸晃氏は論外だ。
 翻って小沢一郎氏が一部で熱烈な人気を持っているのはなぜか。
 この殺伐とした政治情況において、国民に「生きるな」という態度は示さないからではないか。これは「生きろ」というメッセージにもなりうる。

 官邸前の大抗議に「無視」で臨む首相が放つメッセージは、俺のために犠牲になれ、だ。

(平井康嗣)

自自公政権が牛耳っていた一九九九年の通常国会は私が編集者となってからもっとも憲法を痛めつけた国会だと思う

 自自公政権が牛耳っていた一九九九年の通常国会は私が編集者となってからもっとも憲法を痛めつけた国会だと思う。
 国旗国歌法、住民基本台帳法改正、組織的犯罪対策三法、新ガイドライン関連法が成立した。
 これらの法は今どれほど生活に資するものになっている? 逆だろう。

 そして二〇一二年。民自公の談合国会は九九年を超えた。
 原子力規制委員会での安全保障文言挿入、平和目的を削った宇宙機構法改正、消費増税に共通番号の導入、ダウンロード罰則化法等。
 そして大飯原発再稼働。平和と政治への期待すら足蹴にしている。

 再稼働直前の六月二九日、路上を占拠し、官邸に向かっていく流れにいた。
 言葉にし難い高揚が漂っていた。しかし、鳥瞰すれば株主総会のようであった。
 出席者は声をあげて動議を申し立てた。出席者だけで決をとれば動議は通る。
 しかし、野田”社長”は「音がするね」と出席者を完璧に無視して、姿を見せない有力株主たちのために議事進行をしていた。
 ニッポン株式会社は現実にある。

  (平井康嗣)