かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていた
2013年8月23日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていたが、倒産するまでの数年間、知的障がいのある溶接工の梅田くん(仮名)が働いていた。大雑把な父は東京都に就職の相談をされて二つ返事で引き受け、息子の将来を案じる梅田くんの両親にも感謝されていたようだった。バブル崩壊後、工場が江戸川から茨城県に縮小移転したとき、東京の工員が転勤を拒む中、梅田くんは「おれ社長についていく」と来てくれた。ありがたかった。工場裏の平屋に単身赴任で住んでいたが、梅田くんはコメ炊いてと言われると、洗剤でコメを洗った。給料日には同僚たちに連れられ、水戸の大工町で有り金全部を風俗に使わされて腰が抜けちゃったと嬉しそうに話していた。暴走族上がりの兼業農家工員たちはかまってあげていたつもりなのだろう。私も兄貴分として目を光らせていたが、留守にすると現場の気分次第でオモチャになった。
障害者差別解消法の環境から差別を無くす手法が善意ではない人の心にまで届いてくれればと思う。(平井康嗣) かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていたが、倒産するまでの数年間、知的障がいのある溶接工の梅田くん(仮名)が働いていた。大雑把な父は東京都に就職の相談をされて二つ返事で引き受け、息子の将来を案じる梅田くんの両親にも感謝されていたようだった。バブル崩壊後、工場が江戸川から茨城県に縮小移転したとき、東京の工員が転勤を拒む中、梅田くんは「おれ社長についていく」と来てくれた。ありがたかった。工場裏の平屋に単身赴任で住んでいたが、梅田くんはコメ炊いてと言われると、洗剤でコメを洗った。給料日には同僚たちに連れられ、水戸の大工町で有り金全部を風俗に使わされて腰が抜けちゃったと嬉しそうに話していた。暴走族上がりの兼業農家工員たちはかまってあげていたつもりなのだろう。私も兄貴分として目を光らせていたが、留守にすると現場の気分次第でオモチャになった。
障害者差別解消法の環境から差別を無くす手法が善意ではない人の心にまで届いてくれればと思う。(平井康嗣)