編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

昨日の光景が頭を離れない。

編集長後記

 昨日の光景が頭を離れない。天気のいい首都圏、緑に囲まれ遊具も多く、親子が多く集まる運動公園でのことだ。

 ビタン! と土にはげしく転ぶような音がした。振り返ると、10メートル先くらいに4歳くらいの子どもが倒れて、甲高く泣き叫びはじめた。近くに父らしき男が険しい顔で立っている。あたりを見回してぎょっとした。成り行きをみていたらしい女性が口を両手で抑えて目を丸くし、周囲の100人ちかい大人たちも凝視している。親子へと振り返ると、父は犬か米袋のように片手で子を脇に抱え人気のない場所まで歩き、やはり子を地面に投げつけた。子はもっと泣いた。えっ、まずくない? そんな空気が広場に広がるのがわかった。結局、母親らしき女がおいつき、「家族」は消えた。その後も場は硬直し続けていた。

 結局、誰も仲裁に入れなかった。私も動けなかった言い訳を考えていた。おせっかい、だけど、真っ当な大人はいなかった――。そんなメッセージを私たちも、おそらくその母子も受け取っただろう。 (平井康嗣)

佐高信編集委員が「新・政経外科」で、古市憲寿氏を曽野綾子氏と対比していた

編集長後記

 佐高信編集委員が5月16日号の「新・政経外科」で、古市憲寿氏を曽野綾子氏と対比していた。古市氏がその前号で「『戦争』に興味がなくて」と発言しているのは、巧妙なブラッシュボールの投げ入れだろう(佐高編集委員の批判も同じ)。そうでなければ古市氏は戦跡を取材して出版したりしない。そもそも戦争のような日本の暮らしに身近ではない事象に興味を持つことを当たり前と考えてしまうのはおかしい理屈だ。

 私は自分の興味と他人の興味とはたいていの場合、違うだろうと考えている。自分が注意して見つめなければならないのは、戦争や集団的自衛権について興味を持った前提である。自分で自分をある方向性へ洗脳することは案外たやすいものだからだ。いまならネットで都合のよい偏った情報を集めればいいし、自分の信じるメンターをつくればいい。だから自衛隊や防衛省関係者は気持ちのよくなる『産経新聞』ばかり読む。戦後69年の今こそ自分の考えを借り物ではなく、つかみ直す作業が大切では。 (平井康嗣)

『美味しんぼ』が批判的に取りざたされている。

編集長コラム

『美味しんぼ』での主人公らの福島取材後に鼻血を出す表現、そして井戸川前双葉町長の「福島に住んではいけない」という台詞が風評被害を助長するという意味合いで批判的に取りざたされている。STAP細胞騒ぎ同様、マスメディアは科学的な検証能力を持っていないし、持とうとしないので、成り行きで騒ぎたい方向に騒ぐだけだ。 

 さて5月6日に、千葉県市原市で催されていた芸術祭、「いちはらアート×ミックス」に出かけた。編集者の笠原一久さんに声をかけられて、開発好明さんの「モグラTV」という番組に一緒に出演したのである。開発さんは南相馬市に「政治家の家」という掘っ建て小屋を建てた芸術家。政治家には現場に来てほしいという皮肉だろう。その作品は笠原さんが昨年『AERA』で記事にし、その記事が『美味しんぼ』の原作者である雁屋哲さんらの福島取材へとつながったと聞いた。開発さんにはさらに「マスコミの家」「記者クラブの家」なども福島に作ってもらったらどうか。(平井康嗣)

子どもが入学した都内の公立小学校の1年生は20人程度で2クラスだった

編集長後記

今年子どもが入学した都内の公立小学校の1年生は20人程度で2クラスだった。私の小学校時代は44人ほどで3クラスあったから、それとくらべれば1クラス分にも満たない。大事な時期の出会いがそれだけ少なくなってしまうのかと、不憫になった。駅前の繁華街や商店街に近い地域なので、そもそも住民が多くないのだろう。

この小学校の年表を見てみると今は全校で300人弱だが、ピーク時の1950年代にはなんと1800人もいた。私は不安になり、いまの小学校事情を周辺に聞きまわった。その限りでは、都内の平均的な相場は30人3クラス程度だ。しかしさらに調べてみると、少人数小学校は教師の目が届きやすいというだけでなく、学校側が6年生までの子どもたちと交流するようにしているという利点があることも知った。子どもが学年ごとに完結するよりは、上から下までがまじわって学ぶ生活は、地元で生きる暮らしぶりのような気もする。この学校は外国の子どもも何人もいる、などと考え今は満足している。 (平井康嗣)