ここ数年で嫌な気配を感じるのは言葉や価値観、歴史などを意図的に書き換えよう、転倒させようとしている大衆の動きだ
2015年4月17日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
私がここ数年で嫌な気配を感じるのは言葉や価値観、歴史などを意図的に書き換えよう、転倒させようとしている大衆の動きだ。「ヤバイ」「カワイイ」「萌え」などの言葉は、若者中心に本来の趣旨から相当拡大されて使われている場合、これは政治的意図のない自然発生的なものだ。一方、伝統的価値観、つまり正義、自由、平等、民主主義、平和主義などについて「偽善」と憎しみまじりのレッテルを張る行為が「転倒」の典型だろう。
そもそも言葉で表現される概念は曖昧だが、そこにつけこみ自分の物語に沿うように定義し直す行為は不穏な「地ならし」だ。歴史は同じように繰り返さないが、ハンナ・アレントがナチス・ドイツの初期の動きで重要な役割を果たした「モッブ」(群衆)に関する分析は気になってくる。〈運動への献身や、受難者との連帯や、市民社会に対する侮蔑を断言する彼らの言葉は嘘偽りではない〉(『全体主義の起源』)。奇遇だが日本の若者の間では「モブ」と自虐的に名乗ることが一般化し始めている。 (平井康嗣)