編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

喜べるか

 映画『マネー・ショート』はサブプライム(住宅)ローンの毒債権ぶりをいち早く見抜き、空売り(ショート)に大博打を張る投資家のスリリングな物語だ。当初彼らの分析は笑い飛ばされ、ウォール街も隠ぺいし、マスコミも事実の告発を恐れる。次第に彼らは不安に駆られていくが、最後には何百億円と大儲けをする。

 だが資本主義は自浄せず、金融トップも責任をとらない。これらは歴史的事実だ。かつての日本の不良債権発覚と銀行の責任問題、そして今の東京電力福島原発事件と相似形である。大きすぎて潰せないものは潰れないのである。

 唸ったのは、告発を理解する一方で資本主義の破綻が引き起こす犠牲への覚悟をブラピが若い投資家に問う場面だ。日本でも原発がなくなれば住民の暮らしが破綻するという理屈がある。それを呑み込んでの告発ができるかだ。映画でももっともリスクを負い勝った連中は素直に喜ばない。

 パフォーマンスがアートだなどと喝采をあびても、バンクシーは心から喜んではいないのかも。

独裁国家か

 週末、小学校に通う娘の同級生3人が家まで来た。1人は中国の女の子だった。娘の学校には外国の子が増えていて、運動会などでも多くはないが多国籍な姿を見る。実際、町中にも多くなっている。

 この時期、卒業式では国歌を斉唱させる学校は多い。その際に懐疑的な教員や生徒が起立しているか、過去には歌う口元までチェックしたこともある。どこの独裁国家かという話だ。昨年6月に文科相は国立大学にも「日の丸」掲揚と「国歌」斉唱を「要請」したから頭が痛い。

 とうぜん「愛国心」イデオロギーの押しつけは国際競争でしのぎを削っている大学側からは失笑を買った。そんないびつな大学に国際的人材が好んで来るはずもないからだ。小学校でも英語教育を積極的に導入し、「グローバル人材」を育てようとしているのにだ。もちろんグローバル化を手放しで支持するわけにはいかないが。

 とくに今気になるのは社会の貧困化だ。ランドセルや制服が買えずに、入学式を欠席する子どもがいる。大人になにができるのか。

「私」の身近な暮らし

 2011年3月11日から5年。むろん大地震は東日本大震災だけでなく、ここ10、20年でも国内では阪神・淡路(1995年)、新潟県中越(2004年)、福岡県西方沖(2005年)、能登半島(2007年)と起きている。覚えているだろうか。

 地震で「被害」が大きくなるのは人口が集中している都市部だが、沿岸部や山間部にも人は暮らし、沿岸部には原発もある。そのため原発震災の危険性が今も鋭く指摘され続けていることを念頭に置き、あのときを振り返るだけではなく、いま起きていることを見つめる3・11特集とした。

 先週からネットを中心に議論が広がっているのが「#保育園落ちたの私と私の仲間だ」というもの。共働き世帯が今や半数を占めるという報道もあり、母子家庭も少なくない。実質賃金も下がっているなか切実な問題だ。

 いずれにせよ人の主な関心は「私」の身近な暮らしだ。すると過去の震災とその後を記録する仕事は主にメディアの役割になる。微力ながら「公」の記録を続けていきたい。

耳が痛い情報ほど

 先週、人間魚雷回天を巡る漫画『特攻の島』(佐藤秀峰著)を読んだ。回天戦は米軍に対して有力な戦果を与えたと報告され、皇軍は前のめりになった。しかし米国側にはそれを裏付ける記録は存在しないという。

 さて経済紙誌では連日生保や銀行など金融系エコノミストが登場し、さまざまな分析を披露している。彼ら彼女らは生の企業情報を持ち、ネガポジ両面の見解も出す。しかしながら、小誌に登場するエコノミストたちのような辛辣な発言はまずお目にかからない。

 イケイケムードに水を差す発言や政権批判には臆病になるものだ。無論そのような情報を送り出すメディアとの共同作業だ。しかし現実は、実質賃金はマイナス、10年以上叫ばれ続ける「デフレ脱却」ももはや鳴りを潜めた。

 株高を成果にしていた首相も「日々の株価に一喜一憂しない」と言いだす始末。今回のマイナス金利では住宅バブルと投資家の破綻も懸念されている。本来、情報と分析に色はない。むしろ耳が痛くなる情報と分析ほど為政者は歓迎すべきだ。