編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

創価学会対共産党

 今週号の特集は「創価学会対共産党」。首相が日本共産党を執拗に批判し続けるのは、民進党に選挙協力すると脅威となるからだ。「野合」連立で政権を維持する自公の真似をされたら困るのだ。

 そこで参院選を念頭に両集団を探った。そうしたところ校了直前の月曜日に「創価学会と共産党」と題する『週刊ダイヤモンド』が発売された。おまけに志位和夫共産党委員長のインタビューまで掲載しているではないか!

 といっても業界雀の噂で内容はなんとなく聞いてはいた。さすが充実した取材ぶりですが、他方で後出しとなった小誌は、共産党や創価学会の幹部との対談を佐高信編集委員で企画したがどちらからも断られる始末。表向き選挙で忙しいとかそんな理由だが、両者に対して佐高さんがもっとも痛烈な評論をするからとも思ってしまう。

 結果、官邸や共産党の分析、学会信者の苦言などずばりと載せられた。世の中の大多数である「庶民」の本当の味方はどの政党や人なのか。この期間ぐらいじっくり考えようではありませんか。

日本会議の底流とは

 小社で近々、『日本会議と神社本庁』を出版するが、そこで再確認したことは日本会議の底流が左翼(学生運動)という主流に対する反動・反発であるということだ。

 この理解は小誌5月27日号の日本会議特集の本欄でも書いたが、この50年近く前の敗北と怨念の根深さについてもっと分析がなされなければならない。右派の市民運動家と“保守”政治家は似ているが、違うものであること。戦後の自民党一党支配への反動でもあるリベラル論壇の主流化の意味。

 つまり政治は自称保守がメインストリームで、メディアはリベラルやノンポリが主流だった。いずれにせよ安倍的自民党や右派市民運動家からすれば戦後の論壇を築いてきた主流メディア自体が一貫して敵だったのだろう。

 “言論統制”も政治的攻撃の一つだから、勝つまで終わらない。ゆえに朝日新聞社が二つの吉田証言問題で謝罪した一点をもって、事実も吟味せずに勝利だと歓喜する。さらに深刻なのはその執念を攻撃されている側は、今も暢気に受け止めていることだ。

セルフコントロール

 日本でもっとも注目されている自治体の一つ、沖縄県の県議会議員選挙が6月5日投開票され、辺野古反対を掲げる翁長知事を支える与党が議席を増やす大勝をした。地方議会だが結果が外交にまで直結する。

 地元紙は〈県議選与党大勝 辺野古移設を断念せよ 民意無視はもう許されない〉(『琉球新報』)、〈与党が過半数堅持 基地への拒否感根強く〉(『沖縄タイムス』)と報じた。安倍政権が推進する辺野古への米軍新基地建設は、またしても沖縄県民の大多数の民意によって否定されたと言い得るだろう。

 この大勝は民主主義の勝利なのか。私はそもそも民主主義にはアクセルではなく権力が暴走しないブレーキの役割が求められていると考える。そのために憲法には三権分立、二院制、普通選挙があり、地方自治と中央政府が拮抗し、権力行使の速度を落とさせる。それが国家に内在させたセルフコントロールであり、理性であり、知恵だ。

 政治家にしろヘイト屋にしろ、私は反射的にセルフコントロールから逃走する人間を警戒する。

安倍首相の赤恥

 安倍首相は消費増税を見送る。そのため2008年のリーマンショック前後に似ているデータを外(世界経済)に見つけて取り繕おうとしたが、逆に世界に赤恥をかいた。景気足踏みの原因がアベノミクスの失敗であるからだ。

 そもそもアベノミクスの中身はイメージ戦略、日本銀行の金融緩和だけのポピュリズム政策だと、3月4日号「特集 アベノミクス失敗」のなかで元大蔵官僚の小幡績氏が喝破した。安倍首相は「デフレマインド脱却」を繰り返しているが、小幡氏は「インフレになると景気がよくなることがあるというのは誤りで、景気が良くなるとインフレになることがあるというのが定説です。因果関係が明らかに逆」と説明している。

 今週号では参院選を意識して憲法を特集した。憲法改正は日本会議的右派に向けた首相のポピュリズム政策でもある。憲法を変えれば日本が「美しい国」になると考えているようだが、「昭和47年政府見解」すら誤読する首相だ。改憲の因果関係論もまともな代物ではないと考えてしまう。