そこに「在るもの」の意味
2016年8月26日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|admin
親父は2000年6月に飯田橋にあった東京警察病院で死んだ。経営していた金属加工の会社がバブル破綻したあと、ひさびさにいい仕事になると人に会い、銀座で一杯やったあとに倒れた。脳梗塞だった。
病院が編集部から近かったのは不幸中の幸いで、私が家族を代表する形でなにかと足を運び、人工呼吸器の施術同意書などさまざまなサインもした。親父は集団就職で上京後に高度成長期の波に乗ったたたき上げらしく、ワンマンで家族からは煙たがられ、私も喧嘩をよくした。倒産後はますます迷惑に思った。そんな親父の脳梗塞の進行は早く、3日で生かされているだけの「植物人間」になった。
だが寝たきりになった親父を見て〈植物を人はわざわざ求め、眺めて喜びを得ている。植物人間って案外いい言葉だ。親父にはこのまま“植物”として生きていてほしい〉と、これまで本当に想像したことのない思いが浮かんだ。その数日後、親父は多臓器不全で他界した。そこに「在るもの」の意味は他人には中々わかり得ない。