編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

異議申し立て

 12月2日号「風速計」で田中優子編集委員から11月11日号の記事タイトルについて疑問が呈された。

「『”武器見本市”に転進する大学』というタイトルの横に、『早稲田や法政、横浜国立、東海など9校がブース出展』」とあるのは、「これらの大学が防衛省の研究費に応募して軍事研究に『転進』しているかのよう」であり、「筆者と編集部が、読者をそのような『読み』に誘導したかったのであれば、それは大問題」とある。

 筆者、編集部ともにそのような意図はもちろんまったくなく、また、見出しは一義的に編集部の責任に帰するもので、当該の見出しは編集部がつけたことをお断りしたい。

 より的確で、よりふさわしい見出しをつけるべく、編集部として研鑽を積みたい。

 今年は沖縄・高江をはじめ、さまざまな現場で、強権によって理不尽な処遇を押し付けられている人々の異議申し立てがあった。そしてそれは今も続いている。常に市民の側に立ち、一人ひとりの思いを丁寧に追いながら、粘り強い報道を続けたい。

銀行という組織

 地方銀行に勤めている高校の同級生の話を聞く機会があった。マイナス金利が効いてきて経営環境が「とにかく厳しい」という。ファンド投資(?)で稼ぐよう圧力がかかっているようだが、そううまくいくものでもあるまい。地銀がそんな具合なら、地域経済はどうなっているのか。気になったが、地元に残っている人たちからは、なぜか景気の悪い話は出なかった。

ちょっと前になるが、連れ合いが夜ごと悲鳴をあげて眠れない、精神的に参ってしまった、と友人から相談されたことがあった。彼は大手銀行の絵に描いたようなエリート行員。仕事がたいへんなようだが、細かいことは言わないらしい。結局、友人は新興宗教の力を借り、彼は仕事をつづけた。

 その後、銀行という組織の裏面を知るにつけ、その過酷さを少しだけ想像できるようになった。どんな”地獄”にあっても、個人として大切にするものを貫くしかないと、本号に登場している國重惇史さんの著書を読んで思った。

會則道先生

 その音楽家が最初に夢中になったのはマンドリンだった。その後バイオリンに転向して交響楽団に入団。戦前のことだ。生涯でもっとも忘れがたい曲は、「東郷平八郎元帥を送る時に演奏されたべートーベンの『英雄』」。

 戦争には行かなかった。「戦時中は軍の慰問に明け暮れた。戦後はその慰問先がGHQに変わっただけ」という。

 戦争末期はその耳の良さを買われ、近づいてくる戦闘機を、固有のエンジン音で敵機かどうか聞き分け、どの方角からやってくるかも勘案し、防空壕に避難すべきどうかの判断を求められたという。

 一番の思い出は、敗戦後、世界一周演奏旅行に加わったこと。夜ごと見知らぬ場所で、見知らぬ観客からたくさんの拍手を貰ったことは何よりの誇りだ。晩年は子どもたちの指導に携わったが、どんなにひどい音をだしても苦笑するだけだった。戦闘機のエンジン音よりはましだろうと今は思う。逝去されて8年。お世話になった會則道先生の戦争と平和をめぐる話は、いまも私の胸に残る。

カストロ前議長

 キューバのカストロ前国家評議会議長の訃報が世界を駆け巡った。私は革命の指導者としての業績を後の書籍や映画で知るだけだ。しかし反米政権が次々と倒れていくラテン・アメリカにあって、その勢力の重しとなっていたキューバが、トランプ大統領の米国と今後どのような関係をつくっていくのか、気になる。

 安倍首相も二度、前議長に会っている。9月には日本の首相として初のキューバ訪問を行なった。もちろん米国との国交正常化をうけての話で、首相のイニシアティブなんてないだろう。

 安倍首相の外遊も、訪問した国や会談した人物などの実績を考えると、それなりに凄い。向き合った人物や、足を踏み入れた地から何を学ぶか、そこが重要になってくるわけだ(私の偏見か、トランプ氏に面談した時の表情に比して、キューバ訪問時の首相の表情はすぐれない)。

 少なくとも、安倍首相が従来からお持ちの歴史認識を覆すような出会いは、いまのところなさそうだ。残念!