追ってご報告をしたい
2019年12月20日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|小林 和子
先週号で中村哲さんの追悼記事を掲載した。お忙しい中をゆかりの方から追悼文をいただくことができたこと、現地代表が亡くなりたいへんな時期にもかかわらず、ペシャワール会事務局が写真の手配など丁寧な対応をしてくれたことがありがたかった。
ひとつ記事の一部に対して疑義が出された。「親切で誠実なタリバンの男たちに親近感」の文章の冒頭だ。
〈中村先生が用水路をつくったことで水が来なくなったという不満が国内や周辺国にもおよび、それは先生も感じていたはずです〉
用水路をつくったことでいずれかの地域に水が来なくなったという事実がそもそもあるのかどうか、どういう根拠でこういう発言をされているのか、という疑義だ。
これは西垣敬子さんの追悼文だが、西垣さんは、本誌2002年6月7日号の「『金曜日』で逢いましょう」で登場いただいた方だ。〈一九九四年から毎年二、三回ずつ現地(ジャララバード)を訪れ(略)テントを贈ったり、放置井戸にポンプを付けたり(略)ミシン(略)糸を贈って女性たちに洋裁や刺繍を教えると目を輝かせた〉とある。中村さんとも接点があるという話を聞いて追悼文をお願いした。16年5月以降は現地に入ることができていないが、20回以上は現地を訪れている。冒頭の情報は、現地の大学教授らから得たものという。
中村さんは、干魃に襲われたアフガニスタンに最初は井戸を掘った。だが、井戸は飲料水の確保にしかならないということで灌漑事業を手がけるようになった。この灌漑事業のおかげで農村が復興し、多くの人が食べることができるようになった。その一方で、冒頭のような事実があるのかどうか、アフガンやその周辺国の水資源に詳しい研究者に話を聞こうと考えたが、出張中で連絡がとれなかった。
掲載前に確認をすべきであった。申し訳ない。年を越してしまうが、大事な問題なので、追ってご報告をしたい。
年越し問題は他にもいろいろある。継続して伝えていきたい。