編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

追ってご報告をしたい

 先週号で中村哲さんの追悼記事を掲載した。お忙しい中をゆかりの方から追悼文をいただくことができたこと、現地代表が亡くなりたいへんな時期にもかかわらず、ペシャワール会事務局が写真の手配など丁寧な対応をしてくれたことがありがたかった。

 ひとつ記事の一部に対して疑義が出された。「親切で誠実なタリバンの男たちに親近感」の文章の冒頭だ。

〈中村先生が用水路をつくったことで水が来なくなったという不満が国内や周辺国にもおよび、それは先生も感じていたはずです〉

用水路をつくったことでいずれかの地域に水が来なくなったという事実がそもそもあるのかどうか、どういう根拠でこういう発言をされているのか、という疑義だ。

 これは西垣敬子さんの追悼文だが、西垣さんは、本誌2002年6月7日号の「『金曜日』で逢いましょう」で登場いただいた方だ。〈一九九四年から毎年二、三回ずつ現地(ジャララバード)を訪れ(略)テントを贈ったり、放置井戸にポンプを付けたり(略)ミシン(略)糸を贈って女性たちに洋裁や刺繍を教えると目を輝かせた〉とある。中村さんとも接点があるという話を聞いて追悼文をお願いした。16年5月以降は現地に入ることができていないが、20回以上は現地を訪れている。冒頭の情報は、現地の大学教授らから得たものという。

 中村さんは、干魃に襲われたアフガニスタンに最初は井戸を掘った。だが、井戸は飲料水の確保にしかならないということで灌漑事業を手がけるようになった。この灌漑事業のおかげで農村が復興し、多くの人が食べることができるようになった。その一方で、冒頭のような事実があるのかどうか、アフガンやその周辺国の水資源に詳しい研究者に話を聞こうと考えたが、出張中で連絡がとれなかった。

 掲載前に確認をすべきであった。申し訳ない。年を越してしまうが、大事な問題なので、追ってご報告をしたい。

 年越し問題は他にもいろいろある。継続して伝えていきたい。

「慰安婦」問題

 今年もあと1号を残すばかりとなった。全体で68頁の雑誌だが、何ができたのか、できなかったのか。「桜を見る会」は、野党の追及に安倍晋三首相がほとんど応じないまま年を越すことになる。メディアとしてもっと追い詰められないのか、と厳しいお叱りの電話を戴いた。たしかに大事な局面だと考えている。

 今月6日、旧日本軍の「慰安婦」問題を巡り、内閣官房が2017、18年度に集めた資料を伝える共同通信配信の記事があった。その中で「『軍の関与』を補強する資料と位置付けられそう」だとする資料は、ジャーナリストの今田真人さんが本誌17年11月24日号で発表されたものだった。

「軍用車に便乗南下……したる特殊婦女」「兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」などと、1938年当時の外務省と在中国日本領事館の具体的なやりとりを詳細に紹介し、軍や官憲の「主体的」な「権力犯罪」と評している。

 三一書房から『極秘公文書と慰安婦強制連行』も出ている。関心を持たれた方はご一読いただきたい。

医療費増額

 仕事が終わり家に帰ると里芋がどっさり実家から届いていた。9月から3箱目になる。実家で作っているわけではなく、いい芋が近くの八百屋さんで手に入るということだった。里芋の汁でかぶれる私は皮を剥くのが難儀だ。

 さて、どう料理しよう。いっそ潔くふかして食べてみるか。しかし、こんなに重い荷物をどうやって配送手続きしたのか。めまいで転倒して膝を痛めたのは一昨年の冬のことだった。

 先日政府が75歳以上の医療費自己負担を2022年度から2割に増やす方向で調整をしていると報道があった。高齢者が必要以上に受診を控えるのではないかと心配だ。私の母の場合、医療ではないが月に二度、訪問看護を利用している。

 だが、本人は理屈をつけて止めたがっている。「勿体ない」がホンネだろう。しかしこのタイミングで医療費増額とは。10月に消費税をあげたばかりじゃないか。

 よし、久々に「安倍さんは弱い者イジメ。腹が立って眠れんさ」という母の口癖を聞きに実家に帰ろうか。「桜」の疑惑もあるし。