編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

鄭義信さん

▼3月14日号「歓喜へのフーガ」で崔善愛編集委員がインタビューした鄭義信さん作・演出の東京演劇アンサンブル『白い輪、あるいは祈り』(『コーカサスの白墨の輪』ベルトルト・ブレヒトより)を東京・俳優座劇場で観た。

 稽古での鄭さんは役者に駆け寄り、じっと見つめて考えたり、ニコニコと話し合ったりしながら、次々とプランを提示する。大きな声も出さずに、ときどき笑いまで起きる現場……。あたりまえだが、見事に一つにまとめていた。

 舞台は鄭さんが言うように「大岡裁き」が軸ではあったが、取り合ったのは戦乱の中で実際の母親に置き去りにされた子ども。そして育ての母親には、子どもを抱えながら生き延びるために、裁判に至るまでに数々のできごとが。

 鄭さんは「きな臭い空気に覆われはじめている」今の時代にあって、「あまりに能天気」だと結末を変更した。そんなラストとも重なり、イスラエルによる攻撃が再開されたガザの人々、実際の戦争を思わずにはいられなかった。(吉田亮子)

卒業式のあり方

 強制は調教——。卒業式での「君が代・不起立」処分の取り消しを求めて裁判を闘った大阪市立中学校の元教員、松田幹雄さんら(「君が代」不起立処分撤回!松田さんとともに学校に民主主義を!)が「『卒業証書授与式』を使わないで」と訴えている。

ホームページによると、戦前の「卒業証書授与式」や「卒業式」は、天皇、日本国家に忠誠を尽くす意識を刷り込む行事であったことと、式の主役が卒業生ではなく学校長であったこと(『学校禮法 儀式編』川島次郎著、1942年より)が理由だという。

 大阪市教委とは「君が代」の指導なども含めて何度も協議を重ねた上で、すべての大阪市立小・中学校に「『卒業証書授与式』のことばを使わないでください」と2月にメールを送付した。これを契機に卒業式のあり方について論議が起きることが狙いだ。

 くわしくは、東京都の卒業式での状況とともに誌面で報告したいと思う。東京ではあたたかい日が続いたせいか、もうサクラが咲き始めた。(吉田亮子)

小室等de音楽祭

 今号の「なまくらのれん」で本人も書かれているように「小室等de音楽祭」は大盛況だった。小室さんは何人ものゲストとコラボしながら、ご自身の楽曲も披露し、トークも続く。お疲れだったろうと思うが、ニコニコとたのしそうで、かっこよかった!

 ゲストの1人、清水国明さんはウクライナから帰国したばかりだった。災害被災地に届けているトレーラーハウスについて、ウクライナでも役立てられないか、などなど模索中。ただ移送費などを考えると、復興事業として現地での製造を応援したいと話す。また、何が必要かと聞いたら「祈ってください」と言われたと、意外そうに紹介した。

 東日本大震災のある被災者は、話を聞くために能登半島の被災者に会いに通う。自分も同じことをしてもらい、誰かが見てくれていることが力になったからだという。祈るって、そういうことか。無力な人にとっての最後に残されたことのように見えるかもしれないが、そうではない。人を励まし、生きる力になる。(吉田亮子)

除染土の行き先

 東日本大震災の発災後、同じ年に生まれた甥っ子がこの4月で中学3年生になる。東京にも放射能が降り注いでいるという情報に、妹は生まれたばかりの息子と実家の母の3人で関西に脱出した。そのくらい切迫した状況だった。

 それなのに今や原発事故などなかったかのようなきらびやかな政治のふるまい。2月25日の報道では、空間放射線量を下げるために福島県各地で表土をはぎ取り、現在大熊町と双葉町にまたがる中間貯蔵施設で保管されている除染土について、伊澤史朗・双葉町長が個人的な考えとしながらもまずは「町内で利用」する意向を示したという。

 背景には東京・新宿御苑などでの除染土の再生利用の実証事業計画に住民の反対があり、法律で定める県外処理のめどが立たない状況がある。多くの福島の人たちは自分たちが望んだわけではないのに首都圏に電力を送るために原発を押しつけられ、事故によって故郷を壊され、挙げ句の果てに除染土の処理まで強いられている。あんまりではないか。(吉田亮子)