オバマ氏の「チェンジ」は一国覇権主義の復活を目指すのか
2009年1月16日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
人間はこわれやすい。地球もこわれやすい。だから、ていねいに心をこめて向き合わなくてはならない。そのやさしさを持ち合わせているかどうかで、人を、とりわけ力を持っている人々を評価するようになった。世界で最も大きな影響力を持つポストにつくオバマ氏はどうか。今のところ、高い評価を与えることはできない。
昨年末、イスラエルはガザ侵攻を強行した。年が明け、国際社会の反発を無視し地上戦にも突入した。もし彼に私が望むやさしさがあるのなら、この暴挙に対し、即座に行動を起こしただろう。むろん、単純に「イスラエル悪者論」を唱えるわけにはいかない。ハマスにもアラブ各国にもさまざまな思惑があるのは事実だ。しかし、何よりも重要なのは「命」である。真のやさしさを持ち合わせていたなら、政治的思惑を超え、まずはそこに目を向けただろう。
今回のイスラエルの行動は、ブッシュ政権中の「駆け込み」という見方もある。だが、すでにレイムダック状態の大統領だ。議会も民主党が主導権を握っている。オバマ氏がその気になってブッシュ氏に直談判すれば、事態は動いたはずである。私には、オバマ氏が意図して沈黙したとしか思えない。
そもそも、彼はハト派なのか。イラン攻撃を公言してやまないヒラリー氏を国務長官に据えただけで答えは出る。イラクからの「撤退」も、新聞で報道されているような「平和主義に基づく」ものではないとの指摘がある。このあたりの実態は、本誌今週号の特集や弊社から近々、刊行予定の『新政権の隠された本性 オバマの危険』で詳報した。ぜひ読んでいただきたい。
大統領選勝利後のオバマ氏に、ときおり小泉純一郎氏がだぶる。閉塞した社会では、「改革」や「チェンジ」という響きが心地よく耳に伝わる。小泉氏は「郵政改革」の一点で自民党圧勝を実現した。だが結局、もたらしたのは新自由主義の暴虐にすぎなかった。格差・貧困社会への「変革」が正体だったのだ。
オバマ氏の「チェンジ」とは何を目指すのか。一国覇権主義の復活でないことを願うばかりである。閣僚予定者の顔触れをみると、不安感のほうが強い。だが、まだ夢を捨てるには早いだろう。百年に一度、千年に一度の変革期だ。遺憾ながら、最悪のならず者国家とはいえ、米国には「可能性」を感じさせる何かがある。未来への展望は何一つなく、解散・総選挙すらできないこの国の宰相を思い浮かべると、ため息がでる。 (北村肇)