沖縄県知事選挙の結果に、「民意」を考えた
2006年12月1日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
本誌編集部は、JR水道橋駅から歩いて数分のところ。野球シーズンの間は、夕方になると駅周辺がごった返す。人気低落とはいえ、まだまだ巨人戦には何万という観客が押しかける。笑われるかもしれないが、ぞろぞろとドームに向かう人々を見ながら、つい考えてしまう。「観戦には数千円かかる。そのお金を使い、10人に1人でも本誌の購読者になってくれれば……」。
「民意」とは結局、「数」なのだろうか。沖縄県知事選は、野党統一候補の糸数慶子氏が敗れた。序盤から苦戦が伝えられていた。選対関係者からは、「基地問題が票にならない」という、悲鳴にも似た声も漏れてきた。
『朝日新聞』と『沖縄タイムス』の共同出口調査によれば、「新しい知事に最も力を入れてほしい点」を聞いたところ、「経済活性化」と答えた有権者が56%、「基地問題」は28%にすぎなかった。実際の投票行動との関連では、「経済活性化」と答えた人の67%が与党候補の仲井真弘多氏に投票、糸数氏を選択したのは32%だった。
与党にパイプのある知事のほうが、短期的には経済活性化政策を進めるうえで力になるかもしれない。しかし、長期的な視野に立てば、話は別だ。国の経済状況を最も危うくするのは、言うまでもなく「戦争」である。政治の最大の要諦は「戦争回避」であり、基地問題は当然、その流れの中でみなくてはならない。
安倍政権は、「軍事政権」といっても差し支えないほど、危険な香りを漂わせている。しかも、「お国のために死ぬ国民」を育成しつつ、一方で米国追従を強めるという大いなる矛盾を抱え込んでいる。これを突き詰めていけば、日本人は「米国のために命を捧げる」ことを強要されかねない。
今回の沖縄知事選挙で仲井真氏を当選させたのは、県民だけではなく、日本に住むすべての人にとって得策ではなかったのだ。だが、「民意」が間違ったからといって、「民度が低い」と断じるのもまた正しくない。真実を知らされない限り、正しい判断をするのは無理なのに、地元紙は別にして、マスコミは基地問題の背景をきちんと報道してこなかったのである。
市民の立場に立ち、腐敗した権力を批判するジャーナリズムが機能さえすれば、「民意」は変わる。ドームを本誌購読者で埋め尽くすことだって、荒唐無稽ではない。(北村肇)