久しぶりに訪日した韓国の友人が嘆く。「日本人は暗くなった」
2006年11月17日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
掌にのる観葉植物をパソコンの脇に置いた。子どものころ食べたヨーグルトの瓶に似た器に、菖蒲を細くしたような葉が20枚ほど、すくっと立っている。名前は、書いてあったラベルを捨ててしまったのでわからない。ささやかな緑。それでも心和む。ただ、連休明けなどは元気がない。水をやれないからだろう。
過日、10年ぶりに訪日した韓国の知人が「日本は変わった」と嘆いていた。変わったのは「人間」だという。留学生時代は、こんなに親切でやさしい人々もいるのだと感動した。ところが今回は、街を歩いている人がみんな「暗い!」。その落差に驚いたというのだ。「水分」が足りないのか。日本人から、うるおいが消え去ってしまった。
繁華街を歩いていると、警察官の職務質問がやたらに目立つようになった。自転車の若者を呼び止め、二人で取り囲むようにしている姿は、いかにもギスギスとした雰囲気を漂わせる。もはや、「親切なお巡りさん」ではない。
本誌は一貫して「警察の闇」を特集してきた。今週号の第6弾では、労働組合、大学、市民グループなどへの「弾圧」を取り上げた。市民警察がここまでやるのかと、驚くことばかりである。
戦前・戦中の思想弾圧を反省して、だれにでも親切でやさしい「交番のお巡りさん」が生まれたのではなかったか。市民が安心して交番に駆け込めるような国は、実は、そうたくさんあるわけではない。海外に行ったとき、日本人の多くが実感するはずだ。
「美しい国」とは、やさしさが空気の中に微妙に溶け込んでいるような国を指すのだろう。だが、この国では、疑心暗鬼をあおり、市民に「敵」と「恐怖」を与えることで統治しようという、前時代的な政治権力が「美しい国」を標榜している。
戦前の「治安維持法」が示した如く、「治安を乱す」者は、「国の政策に従わない」者と同義になりかねない。2006年の日本はどうか。メーデー参加者が言いがかり的な容疑で逮捕されたり、チラシを配っただけで長期拘留されるような国は、外から見たら「警察国家」以外の何物でもない。
かつての韓国のように、いまの日本は“恐怖の雲”に覆われている。陽光を遮り、温かみを失わせるこの雲は、しだいに、しだいに厚くなっていく。(北村肇)