復帰に1カ月以上かかった草なぎ剛さんは、肥大化した警察権力の“被害者”
2009年5月22日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
廃刊した写真雑誌『FOCUS』に、故中川一郎氏の立ち小便写真が載ったことがある。困ったような、はにかんだような表情が印象的だった。いまなら、野党議員が路上で排尿したら直ちに逮捕ということになるかもしれない。芸能界ではタブーといわれるSMAPの草なぎ剛さんだって、復帰までに事件から1カ月以上、かかったのだから。
小沢一郎・前民主党代表は検察の力によって、すぐ目の前にあった首相の座をとりそこなった。むろん、草なぎさんの件は「国策捜査」ではない。だが、本来なら説諭ですむ事案で逮捕され謹慎に追い込まれたという点では、ある種の“被害者”とも言える。
さらに見逃せないのは家宅捜索(ガサ)だ。公園で裸になって騒ぐのは近隣に迷惑をかけるが、さりとて凶悪犯ではない。尿検査で覚醒剤や大麻の成分が検出されたのなら当然だが、そんな事実もなかった。結局、微罪によるガサが見せつけたのは、検察同様、「警察権力」が異様に肥大化している実態であった。
二つの例は、捜査当局の胸三寸で事件の取り扱いが決まる現実を浮彫りにした。これは危険である。たとえば、労働組合の役員を微罪で逮捕し、組合事務所にガサを入れることも可能になる。その組合が捜査のターゲットになっていれば、役員も組合員も絶対に立ち小便はできない。さらに、いわゆる“ころび公防”で逮捕、家宅捜索ということだってありうるだろう。
「横浜事件」のようなでっちあげ捜査は、戦後、過去の遺物になったと思われていた。しかし、「胸先三寸」で捜査内容が変わるということは、一歩間違えれば、でっちあげにつながってしまう。最近の事件捜査に、きな臭さを感じるのは私だけだろうか。
さて、問題は捜査当局の姿勢にとどまらない。マスコミ捜査の行き過ぎを監視すべきなのに、逆にあおりまくるマスコミ。ミサイル騒動や豚インフル問題にもつながるが、論理的分析をかなぐり捨て、情緒に訴える報道が世論を誘導する。
本誌先週号では、豚インフル騒ぎの背後にある「闇」を特集した。今週号は草なぎ事件の本質に斬り込んだ。こうした記事・企画は雑誌として当然である。官僚や政治家が隠蔽したいことを抉り出すのがジャーナリズムの責務だからだ。ところが、最も歴史も基礎体力もある新聞・テレビが、隠蔽に加担しミスリードに走る。これではまるで、戦争をあおり続けた時代への先祖返りだ。(北村肇)