有権者の破壊衝動によって生まれた民主党政権
2009年9月4日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
破壊衝動――今回の総選挙は、多くの有権者がそれに突き動かされて投票行動に走ったのではないかと危惧する。
革命に匹敵するような民主党の圧勝は、皮肉な事実を浮き彫りにした。それは、4年前も今年も、大勝したのは「政党」ではないということだ。前回は、「改革を阻む古い勢力をこわす」という小泉純一郎氏のあおりに有権者が乗せられた。いや、この表現は正しくない。そもそも市民の心に潜んでいた「閉塞状況を打破したい」との思いが、小泉氏の「一言政治」と波長があったのだ。郵政民営化などどうでもよかった。つまり既存の政権をぶっこわしたいという市民の欲求の発露こそが「自民圧勝」をもたらしたのであり、自民党そのものを選択したわけではない。その意味で二つの総選挙は構図が同じなのである。
公示日に東京新聞が報じた世論調査によれば、「民主党に政権能力があると思うか」という問いに「あると思う」と答えたのは41・2%で、「あるとは思わない」の43・8%を下回った。比例で民主党に投票した約3000万人の多くは、「ダメもと」で一票を同党に託したのであろう。となれば、「革命的に社会の雰囲気を変える」ことができない限り、民主党の先行きには、たちどころに暗雲がたちこめる。
有権者は時間的な余裕を与えてはくれない。短期間で組閣し、霞が関官僚を手の内に入れ、矢継ぎ早に新しい政策を推し進める。それができなければ、来年の参議院選挙では、まったく逆のことが起こりかねないのだ。308という議席がいかにもろいかは、119に落ち込んだ自民党が身をもって証明している。この4年間、市民は新自由主義の暴虐にさらされ、小泉元首相の「改革」に騙されていたことを実感した。いかに「ダメもと」とはいえ、有権者がまずもって社会福祉の充実を民主党に求めているのは間違いない。この要求に具体的に応え実績をあげてこそ、初めて政権党と言える。それまでは、与党の立場など砂上の楼閣でしかないのだ。
創造のためには破壊が必要である。しかし展望のない破壊は、虚無感とともに、一層、茫漠とした不安感を引き起こす。よってたかって自民党を池に落とした有権者は、まだ興奮冷めやらない面持ちを残したままだ。もし民主党が期待を裏切ったら、今度はどこに矛先を向けるのか、予測もつかない。
情緒的な破壊衝動を、どう創造に結びつけるのか。民主党の課題はあまりに重く、浮かれている余裕はまったくない。(北村肇)