郵政民営化が捨て去った「ぬくもり」を、新政権は甦らせることができるか
2009年10月2日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
ぬくもりが欲しい。演歌の歌詞ではない。いまこの国に暮らす多くの人が求めているもの。それはぬくもりではないか。本来、すべての人の心にある、あたたかく相手を包み込む感情。お互いが包み込んだとき、そこに生まれるのがぬくもり。とりたてて探さなくても求めなくても、そこかしこにあったぬくもり。
中国映画『山の郵便配達』(1999年)を思い出す。80年代初頭。湖南省西部の山間地帯で長い間、郵便配達をしてきた男性が、息子に仕事を引き継ぐため最後の仕事にでる。峻厳な山道を辿る2泊3日の過酷な道のり。
息子は、仕事で家を留守にしがちな父親とは折り合いが悪かった。だが、一軒、一軒、配達先を回りながら、心に変化が生まれていく。手紙は人の心を伝えるもの。人と人の心をつなぐのが、手紙を配達する仕事。そのことに気づいた息子は、父に尊敬の念を抱き、仕事の責任感にも目覚めていく。
4年前、小泉純一郎首相の大号令のもと「郵政民営化」が現実化した。郵政事業見直しの目的が「だらだらしたお役所仕事の改善」だったのなら文句はない。だが、この欄でも何度か触れたように、結局は米国の要求に従っただけである。新自由主義に基づくマネーゲームが背景なのだから、利益優先の「弱者無視」に走るのは必然の帰結。米国を太らせるために、僻地の人々が迷惑を蒙ったのだ。
「民」が自社の利益を優先するのは避けられない。非効率そのものの僻地郵便局に投資する発想など微塵もないだろう。だからこそ「官」の事業が存在するのだ。国や自治体が目指すのは利益ではなく社会福祉。福祉への投資は、「民」には無駄であっても「官」には責務なのである。
この国の為政者は「ぬくもりが欲しければ勝者になれ、カネを稼げ」と言い続けた。そのぬくもりは豪邸や羽布団にすぎない。本当のぬくもりは心が生む。山間に住むおばあさんに手紙を届ける郵便配達のおじさん。手紙を書く人、届ける人、受け取る人。そこに醸し出されるあたたかい空気。それがぬくもりである。そして、税金は、本当のぬくもりにこそ使うべきだ。
民主党は郵政民営化の見直しをマニフェストに入れた。国民新党の亀井静香代表が郵政担当大臣に就任した。新政権の英断に期待すると言っておこう。(北村肇)