「バラク・ユキオ」と呼び合う茶番でわかる日米関係の現状
2009年12月4日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
バラクにユキオ。また始まった。ロン・ヤス以来、もう笑ってしまうしかない。だが、こんな茶番が実は怖い。おちゃらけた雰囲気が現実を消すからだ。
イラク戦争を我先に支持したのは、誰あろう日本の首相、小泉純一郎氏。その小泉氏がブッシュ大統領とキャッチボールするパフォーマンスは効果抜群だった。陰惨で陰湿で仕組まれた侵略戦争、それに加担する日本というおぞましい構図を、トップ同士のお遊びは軽い笑いでまぶした。このしたたかな演技を鳩山由紀夫氏はどう見ていたのか。米国からの自立、対等な外交を目指すと公言しているのだから、当然、苦々しく感じていたはず。なのに、またまたバラク・ユキオである。
ロナルド・レーガン大統領が中曽根康弘首相を「ヤス」と呼んだ1985年、米国にとり日本は「相手にする国」だった。むろん、それは自国の利益のために利用する価値があるという意味だ。「ロン・ヤス」に気をよくした中曽根氏は、日本を米国の浮沈空母にしただけではなく、市場開放を進め米国資本が日本の資産をかすめ取る手助けをするなど、米国にとってはこのうえなく使い勝手のいい首相となった。
それから24年、日米関係は変質した。オバマ政権は日本を、対等どころかまともに付き合う国ともみていない。来日が1日遅れたのも、都内での講演がオバマ氏にしては珍しく「歴史的演説」とはほど遠い、あたりさわりのない内容だったのも、ジャパン・ナッシング(無視)の証しである。
本誌今週号で霍見芳浩ニューヨーク市立大学教授が述べているように、米国での報道は「訪中」一辺倒で、米国民の多くは訪日の事実さえ知らないという。いまや、米国にとって外交の最重点は「対中関係」であり、日本は完全な支配下にある子会社にすぎない。今回も、親会社の社長・バラクが子会社社長をユキオと呼び、社員(日本の市民・国民)向けにほんの少しヨイショしただけのこと。言うまでもなく、この茶番はバラクにとってもユキオにとっても損ではない。
首脳同士が信頼関係を結ぶのは結構。しかし、そもそもファーストネームで呼び合ったからといって結べるものではない。そんなこと子どもだってわかる。いや、これは子どもに失礼。子どものほうがよりわかると言い換えよう。二人は、裸でぶつかってこそ親友が生まれるという事実を知らない、あるいは知っていても無視する「バカな大人」の典型ということだ。(北村肇)