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「裸の資本主義」の時代、複雑な政治バランスの上で行なわれる北京五輪

 北京五輪が始まる。競技にはあまり関心がない。だが、「いま世界はどうなっているのか」を知るうえでは、貴重なイベントだ。

 モスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたのは1980年。ソ連のアフガニスタン侵攻に反対した約50カ国が参加しなかった。次のロサンゼルス大会、今度は、東側諸国が報復措置として不参加に踏み切った(直接の理由は、米軍のグレナダ侵攻に対する抗議だった)。こうした五輪の政治利用は、「国民国家の時代」を象徴していたとも言えよう。

 ロス五輪はまた、オリンピックがどっぷりと商業主義に浸かった“記念すべき”大会でもあった。大会委員長のピーター・ユベロスは、巨額の放映料やスポンサー協賛金を集め、「税金を使わない」オリンピックをつくりあげたのだ。

 そして、89年にベルリンの壁が崩壊、91年ソ連が消滅すると、米国は高らかに「資本主義の勝利」を宣言。世界は新自由主義に染められていく。軌を一にして、五輪とカネの関係はますます濃密になっていった。
 
 そんな中、今大会は久々に政治利用の面がクローズアップされた。超大国を自認する米国が唯一恐れる国、中国が開催地だったからにほかならない。チベット問題が火種になったのは間違いないが、仮にこの問題がなくても、別の人権問題が浮上しただろう。北京五輪の「大成功」により中国が「政治大国」になることを、米国は良しとしないからだ。

 といって、冷戦時代のような「反共政策」とは異なる。事実上、中国は市場主義を取り入れており、イデオロギー面での峻烈な対立が存在するわけではない。アジア、アフリカを中心に、中国外交が世界に楔を打ち続けていることに対する苛立ちが主だろう。

 だが一方で、サルコジ大統領が強硬な態度をとったフランスと違い、米国は表面的には「北京五輪応援」の姿勢を維持し続けた。お互い脅威を感じつつ、経済的結びつきを考えたら「敵」に回すことはできない。これが、両国とも認めざるをえない現実だ。むしろ、将来的には、米中の二大国が水面下で手を結び、世界経済を牛耳るという構図さえ、考えられないことではない。

 裸の資本主義が世界を覆う下、複雑な政治バランスの上で行なわれる、それが北京五輪なのである。(北村肇)