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「つくられた龍馬」にだまされないヘソ曲がりになる

 源義経、織田信長、そして坂本龍馬――歴史上の「ヒーロー」に共通するもの。それは「非業の死」や「無念の死」だ。志半ばで斃れることで、一気に伝説化する。秀吉や家康を演じるのは主として個性的な俳優だが、先の3人はイケメンタレントの場合が多い。悲劇をもとにドラマ性を追求するからだろう。

 NHKの『龍馬伝』が予想以上の視聴率を稼いでいる。現存する写真と福山雅治ではかなり違うが、まあ、そんなことはどうでもいい。所詮は大河ドラマ。そう割り切ってはいたものの、大型書店で『坂の上の雲』とともに龍馬本がうずたかく積まれているのを見ると、いささかざわざわとした気分に襲われる。

 英雄不在の時代。これだけ画一的な教育が行なわれ、横並びの美徳が蔓延しては、どこか突出した傑物が出現する余地は極めて少ない。歴史上の人物やアニメの主人公に夢を託すのは必然の流れだ。そして、それを悪利用する輩が必ず出てくる。

 本誌今週号は、「龍馬大絶賛」に水を差す特集を展開した。歴史をひもとけば、幕藩体制維持派と倒幕派の権力闘争に参加した一人にすぎないともいえる。また武器商人の一面もある。国を憂い国を思う純粋な革命志士なのか、利にさとい商売人なのか、判断に迷う人物というのが実態だ。

 だが、『坂の上の雲』の秋山兄弟もそうだが、龍馬は私利私欲のない英雄として描かれる。その先には、「明治時代はよかった」「あのころの日本に戻ろう」「世界の超一流国を目指そう」という路線が敷かれている。一歩、間違えれば「大日本帝国の夢よ再び」になりかねない。

 話がずれるが、漫画『島耕作』の変質ぶりは凄まじい。課長くらいまではサラリーマン社会の悲哀がそこそこ描かれていたが、社長に就任したいまは、新自由主義の先兵と化している。とともに自民党のスポークスマン役を買っている。ここまでくると「漫画のことだから」と看過するわけにもいかない。

 龍馬に戻るが、原稿依頼しても「関心がない」と何人かの方に断られた。中には「龍馬は嫌いではない」という人もいた。確かに革命家の匂いはもっている。実は、私も心のどこかで「つくられた龍馬」を受け入れたりしている。だから、少しはヘソ曲がりにならないと、ついつい騙されてしまう。(北村肇)