編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

首相が変わっても、日米安保条約を廃棄しない限り、日本は「独立」できない

 風邪引きで寝込んでいると、普段は意識の外にある雨音が鮮明に聞こえてくる。とはいえ、それは雨そのものではなく、初夏の深みを増した葉に落ち、葉をさまざまに震わせることで生まれる。なまじのピアノ曲より心地よいリズム。時おり交じるカラスの鳴き声もご愛敬だ。雨は本来、苦手なのに、こんなときもある。

 われながら嫌になるが、病に伏していても、ニュースの時間になると律儀にラジオのスイッチを入れる。この日は、沖縄の基地問題、緊張を増す朝鮮半島情勢が大きなニュースとして取り上げられていた。ふくよかに何もかも包み込む自然に比べ、卑小な人間社会の醜悪さに引き戻され、ますます咳き込みがひどくなる。

 この国も病んでいる。病気やそれをもたらすウイルスは一つではないが、もっとも強力で悪質な感染源は、何かと「力」で解決しようとする米国だ。

 同国の日本占領政策の基本は「価値観の同化」だった。食生活から服装、音楽まで、ライフスタイルは知らぬ間にアメリカナイズされていた。外交は、世界の警察官たる米国の「核の傘」に入ることが前提だった。広島・長崎の惨禍を経験した日本が、「核」の力に頼るという絶対的な矛盾を強いられたのだ。この矛盾を巧みに隠蔽したのが日米安保条約だ。憲法9条をもつ日本が二度と戦争を体験しなくてすむように、米国は日米安保のもとに日本の平和を守りぬく。そのかわり、いつでも自由に使える基地を日本は提供する、という建前だった。

 50年前、日本は米国の属国から抜け出る機会をもった。日米安保の改定阻止闘争が全国に広がり、真の独立を目指す無数の市民が立ち上がったのだ。だが圧倒的な「力」のもとに闘争は敗北に追い込まれる。爾来、「価値観の同化」はますます巧妙に進み、歴代の政権もまた、そこに手を貸した。鳩山政権崩壊の陰に米国の姿を見るのは私だけではあるまい。

 今世紀に入り、新自由主義というウイルスは、「戦いに勝ち抜いた者だけが富を得る」として、自己責任なる疾病をもたらした。これもまた「力がすべて」という価値観の押しつけである。私たちは長い間、自然の恩恵のもとで、助け合い、もたれ合って生きてきた。他者を押しのけることで利益を得るといった生き方は、そもそもむいていないのだ。それを無理矢理、強制されたら、体を壊すのは当然である。健康回復のために、まずは日米安保条約を廃棄してはどうか。首相が交代しても、独立国としての立場を固めない限り、対等の日米関係は結べない。(北村 肇)