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理念はあるが自信のなかった鳩山氏を継いだ、現実主義で自信家の菅氏

 鳩山前首相は「理念」の政治家だった。「コンクリートから命へ」と言い換えた「友愛」しかり、米国からの自立しかり。そこには日本的な社会民主主義政策への意気込みもみられた。だが、結果的には、官僚やマスコミの「現実論」に打ち倒され、最後は理想を放り投げる形で討ち果てた。やむをえない結末だった。

 誤算の一つはオバマ大統領に対する評価にあった。鳩山氏はおそらく「チェンジを掲げた大統領は自分と同じ理念の政治家」と勘違いしたのだろう。オバマ氏は極めて現実主義者である。属国・日本の首相が描く理想論など、歯牙にもかけない。土壇場までそのことに気づかなかった鳩山氏に総理の資質はなかった。

 そして何よりも欠けていたのは「自信」だ。官僚や閣僚に何か言われる度にふらふらしたのは、自信のなさの証である。宇宙人と揶揄されても、とことこん理想を追求し続ければよかったのだ。沖縄・米軍基地問題にしても、「そもそも米軍常駐の必要はない」という姿勢を、徹底的に前面に押し出すべきだった。理念が信念まで高まれば、そこには迫力が生まれる。理想を背景にして戦い抜けば、官僚はもちろん、オバマ氏だって一歩、退いたかもしれない。

 過ぎたことに触れるのはここまでにして、さて、火中のクリを拾ったのか、漁夫の利を得たのか、菅直人氏が悲願の総理の座を射止めた。いまの時点であれこれ評価するのは適当ではないが、副総理でありながら、普天間問題では「貝」を貫き通したことには疑問符がつく。意地悪い見方をすれば、首相の椅子がころがりこんでくるのを待っていたのではないか。
 
 だが、見方によっては、現実主義者の面目躍如とも言える。民主党代表選での「小沢一郎外し」も見事なものだった。鳩山氏と異なり、菅氏はしたたかな政界遊泳術を身につけている。理念と現実政策の折り合いをつけられなかった鳩山氏とは違い、米国や霞ヶ関とも、うまくやるだろう。
 
 しかも、自信家である。優柔不断な姿は見せないはずだ。永田町では「小泉純一郎氏に似ている」という声がある。確かに、いざとなると口角泡を飛ばして持論を展開、相手を打ち負かす手法はそっくり。もう一点、近似性があるのは、理念がどこにあるのか見えない、というところだ。ふと気付いたら米国主導の新自由主義に染まっていた、などとならなければよいが。(北村肇)