見所のある参議院議員を大事に育てるのは有権者の役割だ
2010年7月9日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
参議院議員は草花だ。種を植え、水をまき、肥料を使い、大事に育てる。有権者が自らの努力で「美しい花」を咲かせることが可能だ。これに対し、衆議院議員はペットのネコやイヌにも似ている。どんなに愛情を注いでも、時にソワソワして落ち着かない。大人になる前に、外に飛び出して戦うことがあるからだ。
総選挙を経て国会に議席を得た議員は、その日から、いつ来るかわからない「解散」に向けての戦闘モードに入らざるをえない。勉強する余裕がないと愚痴る議員も多い。一方、参議院議員は少なくとも6年間を保障される。じっくりと政策を積み上げたり、さまざまな現場に行き、有権者に接することもできる。
両院のこの違いは大きい。だが、普段、有権者はそのことに気付きにくい。マスコミが総選挙同様、「与野党勝ち負け」報道にいそしみ、ついつい、その流れに巻き込まれてしまうからだ。
参議院は「良識の府」「再考の府」と言われてきた。党利党略が渦巻く衆議院で市民・国民にとってプラスとはならない法案が可決、送られてきたとき、参議院は「良識」にのっとって「再考」し、場合によっては廃案に持ち込んだり、大幅に修正する。1947年に参議院が誕生して以来、幾度となくその役割を果たしてきた。
第1回参議院本会議で、最大多数を占めていたのは無所属議員92人の「緑風会」だった。貴族院議員からの横滑りが多かったが、「不偏不党」を掲げ、既成政党とは一線を画していた。保守主義者が多かったとはいえ、衆議院に対する一定のブレーキ役を果たしていたのは間違いない。
だが、しだいに参議院は「政局の府」と呼ばれるようになる。政権与党は法案を衆参で通すため、参議院における過半数議席維持に腐心してきた。いわゆる「ねじれ国会」になると、法案審議が混乱し参議院の動向によっては解散・総選挙にもつながりかねない。まさに参議院が政局の「台風の目」となるのだ。村上正邦氏や青木幹雄氏のような「参議院のドン」が生まれるのは必然であった。
参議院を再び、良識の府としなくてはならない。そのためには、茎をぴんと伸ばし、気品とともに、見るものをふんわりと包み込む温かさをもつ、そんな花の種を、私たち有権者が見つけ、育てる必要がある。(北村肇)